境界線(タカタカコッタ)

 終わりそうで終わらない雨。窓とカーテンの隙間に溜まる湿度を嫌ってか、単に冷たかったのか、猫がカーテンの裾から顔を出した。床まで届くカーテンが揺れて外の光が薄暗い部屋を走った。仔猫の頃は窓を伝わる雨の雫に何度も飛びかかっていたが、今はそんなこともしなくなり動きも緩慢になった。考えてみるとこの部屋飼いの猫は雨に当たったことがなく、だからきっと雨の冷たさを知らない。そう思って窓の外に猫の顔を出してやろうとしてカーテンを開けると、目の前のハナミズキの木の後ろに見える雨夜の景色にもやが濃くかかっていて、そのもやの中に行き交う車のヘッドライトの光が鈍く浮かんで見えた。

 国道沿いにある私の部屋はワンルームマンションの二階にある。国道を等間隔に照らす街灯が丁度窓の正面に設置されているせいで夜になっても外は明るい。部屋の明かりを全て消しても街灯の光がカーテンに薄っすらと染み込んだようになる。夜はなるべく暗くしたいと思いながらも遮光カーテンを買うのが億劫で、だから私の部屋の夜は真夜中でも薄暗い。
 
 薄暗い部屋のカーテンには街灯に照らされたマンション脇にあるハナミズキの樹影が映し出されている。丁度二階までの高さで樹高成長を止めたハナミズキは、幹から太い枝を数本張り出し、それらの太い枝から更に枝を張り出し、その枝から更に枝を伸ばしている。枝分かれする度に細くなって、小枝で天を掴もうとするようにして伸びているその形は、なんとなく私の体内の隅々にまで行き渡る毛細血管を思わせ、だとしたらハナミズキにとって私の周りに存在する空気は体内で、空気から養分のような何かを吸い取る為に必死に細く長くもがくようにして枝分かれしていて、そうだとすると全ての樹木にとって地球を包む空気は何かの体内であるように思えてきて怖くなった。

 例えば、夕方になるといやしい鳥がたくさん帰ってくる木があって、その鳥の中の一匹がくちばしの周りに毛虫の類いの食べカスをつけっぱなしにして眠っていると、木はきっと真夜中にその鳥を食べる。食べられる鳥の断末魔を聞いた、木の枝が軋む程の大軍で集まってくるいやしい鳥達は慌しい羽音を鳴らして一斉に真夜中の空へ飛んで逃げる。真っ暗な夜を飛ぶ鳥の大軍は、真っ黒のカタマリに見える。木にとってその枝はやはり命なのだから仕方がない。きっとそうやって夜は明けていくのだから仕方がない。

 カーテンが揺れた。猫のせいだと思った。揺れたカーテンに隙間が出来て、そこから街灯の光が漏れてきた。漏れた光は薄暗い部屋のフローリングの床にぼんやりとした線を引いた。猫はその線の向こう側にいて、床に着けた頭に尾を丸めているように見える。私は線のこちら側にあるヘッドの縁に腰掛けて猫を見ている。部屋の暗さで猫の表情は分からないが、多分猫は私を見ている。そのうちに、そのぼんやりした光の線が妙な境界線のように思えてきて、小声で
「こっちに来るなよ」
と、猫に伝えていた。猫は耳をピクリとさせて応えたように見えた。その光の線はその時に於いて絶対に超えてはいけない線で、私たちにはそういった線が度々訪れる。

 線の向こう側とこちら側は、その線によって残酷なほどの隔たりを生むことがあって、だから人はすぐに線を引きたがる。その線を越えるな、とか、その線を越えろ、とか。そして、時にその線は過激さを伴う。そんな時私はいつも、私だけの花火を打ち上げようと思う。どーん。

 雨はまだ止まない。それどころか、かえって雨足を強くしている。ふと我に返って私が目を逸らすと猫はおもむろに背伸びをして、悠々と歩き出し、あっけなく床に出来た光の線を越えた。ぼんやりとした光の線を跨いだ時、猫の体に映った光は毛の光沢と混ざり合ってくっきりと光を主張していた。

 ため息をついて、ベッドに横になってぼんやりと薄明るいカーテンの樹影を眺めていると、猫が上がって来たので頭を撫でてやった。優しく撫でてやった。撫でながら国道から響いて来る車の走行音や、それに混じる雨音に耳を澄ませていると、バラバラのはずのそれらの雑音がある時から心地よい強弱をともなう整合されたリズムとなって聞こえてきて、そのリズムに合わせて猫を撫でた。頭から胴に向けて撫でているうちに私は多分、眠りに落ちたはずだった。

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