Tell Me 推定(坂上田村麻呂の従兄弟)

「その最後の1個を食べたお前は、俺から唐揚げを1080個奪ったことになる」

先輩は付け合わせのレモンを咥えながら、そう言った。

「なんて言いました?」
「お前は皿に残った1個の唐揚げを食べてしまったな」
「ええ、だって先輩は要らないって言いましたから」
「だから、唐揚げを1080個奪ったことになるんだよ」
「どういうことですか?」
「教えてほしいか?」
「はい」
「そこは、ちゃんと、教えてくださいって言うのが礼儀だろ?」
「教えてください」
「お前はフェルミ推定って知ってるか?」
「昔、大学の友達がレポートでやってましたね。一腹の明太子に含まれる卵の数から、博多で殺されるスケトウダラの命を推定してました」
「そういうことだ。つまりは調べることが難しい量を、計算して推定することだな」
「はい」
「なら話が早い。フェルミ推定だ。お前とは、月に3回のペースで飲んでいるな」
「ええ、おかげさまで」
「俺は今30歳だから定年まで後30年。それまでお前と飲むとすると」
「すると?」
「月3回×12ヶ月×30年=1080回は、こうやって飲むことになる。つまり毎回お前が最後の唐揚げを食べれば、俺から唐揚げを1080個奪った事になるのだ!!」

先輩はそう言うと、ハイボールを一気飲みした。自信満々の顔が鼻につく。「次を頼め」とアピールするように、空になったジョッキを振ってくる。

「なんで、ぼくが毎回余った唐揚げを食べる前提なんですか」
「その前提のどこがおかしいんだ?」
「じゃあ、言いますけど」
「なんだ?」
「居酒屋で毎回、唐揚げを注文するか分からないじゃないですか」
「俺は唐揚げが好きだから、唐揚げは確定で注文する」
「じゃあ、もしかしたら店に唐揚げがないかもしれないじゃないですか」
「俺は唐揚げが好きだから、唐揚げの無い店には行かない」
「なら、出てきた唐揚げが必ず1個余るとも限らないじゃないですか」
「俺は唐揚げが好きだから、7個で出てくる居酒屋にしか行かない」
「なんですかそれ!唐揚げが好きなことと関係ないでしょ!偶数個で出てくる居酒屋に行けばいいじゃないですか」
「残念だが、そんか居酒屋はないんだ」
「そんなことないでしょ」
「そんなことある。居酒屋の唐揚げは素数個でしか出てこない」
「なぜですか?」
「教えてほしいか?」
「教えてください」
「素数個で唐揚げを出せば、どんな人数の客でも公平には割り切れない。そうすれば、複数セットで注文する可能性が上がって儲かるだろ?」

なるほど、と少し思ってしまった自分が悔しい。先輩のイチャモンに負けまいと思うと、酒のペースも早くなってしまう。

「そしたら、先輩がさっき齧り付いたレモン1個×1080回で、ぼくからレモンを1080個奪ったことになります」
「だとして何になる」
「何になるって…」
「あのな、この付け合わせのレモンを切るのに何分かかる?」
「3分あれば4等分できますね」
「じゃあ唐揚げを作るのに何分かかる?」
「だいたい30分くらいはかかりますかね」
「だろ?唐揚げとカットレモンを作る差は27分だ。27分×1080回で29160分。だいたい20日間くらいの時間だ。つまり、居酒屋の店員がお前にかける時間は、俺にかける時間より20日多いことになる」
「大げさな」
「大げさじゃない、これがフェルミ推定だ!」

先輩がまたドヤ顔で一気飲みをしようとした時、お通しの枝豆がやって来た。注文したものよりも、後に出てくるお通しってなんだよ。
フェルミ推定ってなんだよ。
枝豆を強めに摘みながら、口に放る。

「そういえば、この前の打ち合わせの会議、10分遅刻してきましたよね?」
「10分で遅刻と呼ぶなよ」
「遅刻は遅刻です」
「まあそうだとしても10分は10分だ」
「それが、フェルミ推定で概算すると、先輩は退職するまでに、18時間くらい僕の時間を奪うことになります」
「たしかに、それはお前に大きな借りを作ることになるな。だが、その推定には欠点がある」
「なんですか」
「教えてほしいか?」
「教えてください」
「サマータイムだよ、サマータイム。それなら、1時間ズレて、逆にお前がな…」
「ちょっと待ってください。サマータイムって1時間早めることです」
「ああ、そうかもしれん」
「とすると、先輩は1時間10分の遅刻だから、計算すれば…」
「もういい」
「先輩の負けです」
「なら、ウィンタータイムでどうだ!」
「今、夏ですよ!」

そろそろ、お腹が苦しくなってお開きだという頃に、先輩の電話が鳴った。
どうやら課長かららしい。先輩は見えるはずのない課長にペコペコしながら電話に出た。
個室で飲んでいることもあり、電話の会話が、ぼくにも聞こえて来る。

『お世話になってます課長』
『ちょっと伝えたいことがあってな』
『なんですか』
『それがな…』
『教えてください』
『最近、お前の部下からパワハラの報告があってな』
『はい』
『お前は大体、1日に3パワハラしてることが分かった』
『はい』
『お前は年240日働いて、これまで10年勤めてきたから…3パワハラ×240日×10年=7200パワハラだ』

見つからなかったパワハラまで、パワハラとして計算されている。
7200パワハラなんて言葉、聞いたことがない。思わず笑いそうになる。

『じゃあ、処罰は明日詳しく話す。それでは』
『はい。それでは失礼します』

電話を切った後の先輩は、電話のことについて何も話さなかった。
店を出て帰る最後まで、課長に怒られたことをぼくに悟られまいと、思っているらしい。

「どうでした?」
「どうでしたって何が?」
「課長からの電話ですよ」
「大したことじゃなかったけどな」
「大したことじゃなくても聞きたいです」
「だめだ。これは秘密だ。秘密は、秘密だ。トートロジーだ」
「もう、教えてくださいよ」

さんざん先輩にやられたから、しつこく聞くことで仕返しをする。

先輩とのやり取りは、いつだって楽しい。
先輩とこういう時間を過ごせるのは、あとどれくらいだろうか。
計算しなくても、この一瞬一瞬が貴重だということだけは分かる。

「ほら、フェルミ推定してないで、帰るぞ」
「そうですね」

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