フライング・イン・ザ・レイン(坂上田村麻呂の従兄弟)

「雨でも飛ぶって知ってた?」窓側の席の彼女は、外を見ながら言った。

「飛行機が飛ぶかどうかの基準は、風の強さで決められているからね。雨が降ってても風が弱ければ飛ぶんだよ」通路側の席の僕は、雑誌を見ながら、彼女を横目に答える。ロボットサークルの長としては、それくらいは答えられて然るべきだ。

「そうじゃなくてさ。雨でも頑張って飛ぶんだよ、飛行機。凄いと思わない?」

「頑張る?頑張っているのは飛行機じゃなくて、それを操るパイロットの方じゃないかな」

「でも、パイロットは雨に濡れないでしょう?」

とにかく彼女は、雨に打たれながらも飛ぼうとする飛行機が凄い、と言いたいらしい。

 もう少し彼女に反論しようとしたところで、離陸のアナウンスが鳴った。離陸の瞬間に備えて、雑誌を前のポケットに直し、体を背もたれに預けて、目を閉じる。ジェットコースターのように、全身にぐーっと重力がかかるこの状況が僕は少し苦手だった。


 数日前、僕たちは負けた。正確には、勝っていたのに負けた。

 アイデア甲子園と呼ばれるコンテストでは、会場に設置されたコースを、自作のラジコンカーで完走するタイムが競われる。スタート地点からゴール地点の間には様々な障害物が設置されていて、それを乗り越える「車」をどう作るか、というアイデアが試される。

 彼女の考えた車は、ルールの穴をついた、斬新なアイデアだった。スタート地点から、足のゴムの力を利用してカエルのように垂直に跳び上がり、ゴール地点へ向けて、布で作られた翼を使ってムササビのように滑空する。上空を用いて障害物を飛び越えたカエル・ムササビ号は、圧倒的なタイムを叩き出して1位となった。

 しかし多くのチームがそのアイデアを「卑怯だ」とか「ズルい」と罵った。その声に影響されたか否かは不明だが、結局、審判員は「モーターを使っていない車は車とは呼べない」とし、僕たちロボットサークルは失格となった。

 非難の雨を浴びて、カエル・ムササビ号は散った。

 後から加えられたルールのせいで負けたことに、僕は最後まで納得がいかなかった。だけど彼女は、

「きっと審判員の中に、カエルかムササビ嫌いな人がいたんだよ」と笑っていた。


 僕が目を覚ましたときには、既に飛行機は離陸していた。しかし機内に異様な緊張感が張り詰めている。変だ。その原因はすぐに分かって、彼女が指差した先の通路にいるおじさんが、ハイジャックを名乗っているらしい。

「ハイジャックおじさんからの伝言ね。外部との連絡は取るな、ってさ」

「不穏な動きは見せるな、ってことね」僕は答える。

「でもさ。そもそも法律的にはさ、携帯は電源を切るか、機内モードにしないといけないよね。だから連絡を取りようがない」

「さすがに緊急時に、そのルールは守らなくても許されるんじゃないかな」僕は付け加える。

 あのおじさんがなぜハイジャックをしているのかよく分からなかったが、右手には何かを詰めた黒い靴下を持っている。彼女が漫画で得た知識によると、それはブラックジャックと呼ばれる殴打用の即席凶器らしい。たとえば大量のコインを靴下に詰めることで、人を殺すことができるほどの強力な鈍器となる。コインも靴下も容易に機内に持ち込むことができる。

「保安検査のルールの穴をついた斬新なアイデアだね」と彼女は呑気に笑っていたが、僕は笑えなかった。


 数人の大人で跳びかかれば、あのおじさんを抑えられるかもしれない。

 そう思ったのは僕だけじゃなかった。前の方の席の青年2人が立ち上がり、おじさんの背後にそろりそろりと近づく。が、失敗した。おじさんはふり返り、青年に気づくと激昂した。ハンマーよろしく、ぶんぶんと振り回した靴下製の凶器を、青年に向けて振り下ろそうとしている。

 絶体絶命の事態。乗客の誰もがそれを打破するアイデアを望んでいたに違いない。その時、隣の彼女の席から、ぴょーんと跳びあがる何かがあった。

 カエル・ムササビ号だ!

 座席から十分な高さまで跳んだカエルはムササビとなり、おじさんの方向へ一直線へ降下していく。乗客はみな、何が起こっているかは分からなかったが、ただおじさんに近づいていくそれを応援しているに違いない。カエル・ムササビ号はおじさん目がけて果敢に飛んでいく。

 もう少しで当たりそう、というところで、おじさんは飛んでくるそれに気づき、靴下ハンマーによってカエル・ムササビ号は無惨にも撃ち落とされた。

 あと少しのところで!応援していた乗客たちは、そう嘆いた。が、カエル・ムササビ号によって一瞬おじさんが怯んだため、その隙に青年2人が抑え込みにかかり、無事、おじさんを捕らえることに成功した。乗客全員が拍手を送る。その拍手は青年2人だけでなく、カエル・ムササビ号にも向けられた気がした。


「どうやって持ち込んだの?」到着ロビーで僕が聞くと、

「なんか愛着が湧いてたから、鞄に入れてたんだよ」と彼女は答えた。

 カエル・ムササビ号は金属でできたモーターを付けておらず、ゴムの足や布の翼によって作られていたため、保安検査に引っかかることなく、機内に持ち込めたらしい。

「保安検査のルールの穴をついた斬新なアイデアだね」

 僕がそう言うと、彼女は

「カエルとムササビ好きの検査員で良かった」と笑った。

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