橋の上(カズタカ)

会社帰りにコンビニに寄り、飲みたいわけでもないコーヒーを買った。立ち読みをした後ろめたさを埋める為だ。BLUE GIANTは相変わらず面白い。コーヒーは飲みたいわけではなかったけれど、飲んでみると当たり前のように温かく、ちゃんと美味しい。これがそこらじゅうで買えるんだから、良い時代になったもんだと、何度も思った感動に「偉そうだな」と自身ツッコミを入れる。

車通りの多い道を自宅に向かって歩く。夜だというのにトラックの多いこと。少し前は殆どのトラックの座席後ろにONE PIECEか武装戦線か野球選手のタオルが掲げてあった。今でもそうなんだろうか。辺りは暗いしそれなりのスピードで走るトラックの中は良く見えなかった。トラックは聞く者を少し不安にさせるような音を立てて威嚇するように横を通り過ぎていく。大きい車体が生んだのか、風が吹いてさっき飲んだコーヒーの熱を少しさらっていった。さすがにまだコート無しにするには勇気がいるなと自然と肩が窄まる。

スマホが震える。着信。同級生の孝之からだ。
「よう。久しぶり。」
孝之とは中高と同じ学校で、それこそ毎日のようにくだらな話をして過ごした仲だ。卒業後、海沿いの工業地帯にある会社に就職していた。僕は街中にある小さい会社に就職した。それからはお互いの生活リズムも変わって、いつでも会える距離ではあったけれど年に数回遊ぶ程度になっていった。この後、孝之は東京に引っ越し、たまに連絡を取るくらいになってしまった。
電話は、久しぶりにこっちに来るので会おうぜ、という内容だ。もちろんOKだ。僕は快諾し近況を少し話しながら歩いた。スマホを持った手があっという間に指先まで冷えてきた。

少し坂を登ると橋に差し掛かる。いつも通る道だ。橋の前で足を停めた。
「孝之、会えるの楽しみにしてるよ。またな。」そう言って電話を切った。孝之から『また連絡するわ。』とLINEが入った。
電話の切り方が少し急だっただろうか。少し申し訳なく思いつつスマホを握った手をコートに突っ込む。
橋を渡る為に歩を進める。
橋の下に流れる幅の広い川は、黒い水面に月明りを反射させているからゆらりと流れているのが判る。川岸には建物が無いから、月が隠れている時はここには黒があるだけだ。先に海があると分かっていないと幕が下りているように思える。
欄干はあるけれど、ここを渡るときは少し竦む。スマホを落としてしまうことを想像する。落としたスマホは地面で跳ねて、真っ黒な水に落ちていく。考えたくもなけれど、何故だか頭に過ってしまうので、橋を渡る時はスマホをしまう癖が付いた。

あの日、僕はここに居なかった。
出張で隣の県に出かけていた。
14時46分。出張先でも強い、長い揺れを感じた。打合せをしていたお客さんから「これはおかしい。早く帰った方がいい。」と言われて帰路についた。移動中、家族に連絡を取ろうにも全く繋がらず不安だけで動いていた。信号は点いていない。高速も使用不可能。ただ家に向けて車を走らせながら祈る。辺りが暗くなってから家族との連絡が付いた。無事に避難してるとのことだった。最大の心配事が無くなると、やっと息が出来たように思えた。後は家に帰るだけだ。車は多いけれども確実に進んでいる。
いつもは明るい国道沿いも全く電気が点いていなかった。途中、車を停めて外に出た。空を見上げると見たことも無いような満天の星空が。何事もなかったように、いや、何事かがあったからか。いつもあったのにただ見えなかっただけの光に、張っていた気がふっと緩み不謹慎にも笑みが零れた。
街中に入っても真っ暗なままだった。もう23時近くになっている。けれど無事を伝えるため一度会社に戻った。会社には数名が残っていて、お互い無事を喜んだ。
「津波?」
同僚に津波があったことを聞いた。移動中、不安が募るばかりだとラジオも切っており、情報は何も入れていなかったから、同僚に何て返したかも覚えていない。会社は少し高い位置にあり、窓からは海辺の方まで見渡せた。一面黒く見えるだけだったけれど、港近くのガスタンクが勢いよく火柱を上げていた。何かの終わりのように思えた。
家に帰ることを伝えると、備蓄用の非常食を持たせてくれた。再び車に乗って自宅を目指す。自宅は海に近いところにある。車通りは殆どなくライトを点けていても暗くて走り難い。明かりが消えた世界がこんなにも暗いものなのか。道路は所々亀裂が入り隆起している個所もある。自宅に近付くにつれてバシャバシャとタイヤが水の上を通過する音が聞こえるようになった。
自宅に着く。家は壊れているようには見えない。玄関も開いた。けれども庭先に水たまりが出来ていた。真っ暗で何も見えないけれど、靴が全部つかるくらいの水たまりに足が嵌まったので分かった。波がここまで来たのだ。
24時過ぎに避難所である中学校で家族と再会できた。各教室に大勢が隙間なく丸まって座っている。中学校は川沿いにあり、津波で押し流された家が川を上って行くのが見えたそうだ。ここが無事なのが不思議だったけれど、川岸の反対側が決壊したそうで、こちら側は少し軽微だったそうだ。それでも床上浸水になった家が多くあったことが徐々に分かっていった。

この橋は、津波が逆上していった川にかかっている。
ポケットの中でスマホを握りしめて渡る。
地震の時、僕はこの場に居なかった。この地でみんなが体験したことを感じていない。津波も見ていない。そのことが、堪らなく後ろめたく感じる。
孝之の勤める会社は津波の被害に遭い、少し後で工場の閉鎖を決めた。それを機に孝之は東京に引っ越した。「前から東京行こうかと思ってたしな。」そう言った顔は諦めと疲労感が滲んだように見えた。
あれから新しい道も出来、沿岸には防潮堤が築かれた。街は新しくなったのだろうか。変わらずここに住んでいる僕には分からない。ここに来て孝之はどう思うのだろうか。
橋を渡り終えたら、さっきのLINEに飛び切り笑顔に見えるスタンプを返してやろう。

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