飛行機雲が消えるまで(タカタカコッタ)

教室の輪留めになったカーテンの上の部分がぶわっと膨らんで、風が一筋、廊下へと抜けた。開けっ放しの窓の外は快晴で、出来たばかりの飛行機雲がくっきりと見えた。

青空を引っ掻くように出来た飛行機雲。それならそこから血が垂れてきたっておかしくない。真っ青な空から血が滴り落ちるなんて、想像するだけで楽しい。なんなら、私だけにしか見えない滲んだ血でもいい。恭子はそう思う。

——ですから、この乱は、キリシタンの弾圧に端を発すると思われがちなんですが、まあ、実は年貢やら何やらの厳しい取り立に業を煮やした民衆の怒りも相まって、所謂その——

キリシタンって。他の言い方なかったのか。キリシタン。キリシタン。キリシたんになると可愛いかも。たんって。舌。シタキリン。雀かって。舌切り雀、あの婆さんは酷いよな。雀の舌切っちゃうんだから。なんで舌切ったんだっけ。うーん。えっ?キリシタン大名?何それ。
飛行機雲、もっと濃く切り裂け。

——まあ、こういった大きな反乱が起こる時っていうのは、大体腹が減ってる時なんだな。この時もまあ、酷い飢饉があってだな、まあ、貧しい人々はみんな腹ペコだったわけで、そういった一種の飢餓的な状況が底辺にあってだな——

腹減って反乱か。本能の発動。空腹はその導火線。分からんでもないな。てか、あの先生の声嫌い。あの喋り方も嫌い。口角の唾なんとかして。もはや泡だよ。蟹。そう。教師なんて蟹じゃん。黒板の前を左右にしか動けない蟹。教卓にお腹つっかえちゃってるけど。腹減っても喰わんけどね。絶対。ズボン汚いし。
よくよく見ると飛行機って結構長い。

——改宗を迫ったと言うこと。わかりますか。まあ、キリスト教を辞めて仏教とか神道にしておきなさいって無理矢理押し付けたわけですよ。まあ、今の時代だと考えられませんけど、江戸の初期では——

シュークリーム食べたい。お腹いっぱい食べたい。汚い字。チョークの小さい破片が黒板滑ってるって。もう、黒板見たくもない。江戸時代ってカステラあったっけ?南蛮貿易?南蛮って酷い表現。中華思想ぐいぐい来てる。ラーメン食べたい。そういえば、舌切られた雀も腹ペコだったっけ。空腹の業、恐ろし。早く終われ、授業。シャー芯なくなりそう。折り過ぎた。こいつ、本当にまあまあばっかり言ってうるさい。
飛行機雲ってゆっくり広がる。広がり続けて輪郭失って知らん間になくなる。

——まあ、そういった非道な弾圧から逃れた、ごく僅かの生き残りのキリスト教信者が隠れキリシタンとなっていったのです。まあ、苛烈を極めた処分がなされた背景には——

カレツ。カツレツ。カツレツのレツって何。誰も教えてくれない。えっ、それより、カツっていうのもよく考えてみるとよく分からない。何語?カツのレツ。カツカレー食べたい。舌があるうちに。
飛行機雲の幅がだんだん広がって、薄くなっていく白色。強い風が吹いたら全部流されそう。

——これに懲りた幕府は、以後鎖国政策を推し進めていくことになります。まあ、この反乱がいかにその後の日本の歴史に影響を与え、そして——

ばくふ。ふみえ。えっち。やだ。私はまだ潔癖。冷徹。いや、清冽。純潔守ってるの。あんな教師のつばきがかかるなんて信じられない。不潔不潔。チョーク折るなんて下品で下等。そんなに力むなって。野蛮、野蛮。黒板ちゃんと消して。雑なの、消し方が。ワイパーの跡みたいな、薄汚い虹みたいな、でっかいバームクーヘンみたいな、その消し方!大の大人がみっともない。黒板消しのヘリの綺麗なトコ使って。
あっ、飛行機雲、消える。音もなく消えるってこうゆうこと。

消えた。

その刹那、教室の輪留めになったカーテンの上の部分がぶわっと膨らんで、風が一筋、また廊下へと抜けた。教科書のページがふわりと捲れ上がって、品詞分解された文字が浮き上がり教室の中に舞い上がった。言葉はそれぞれ色を持ち、音を放ち、表裏をくるりくるりと回転させながら、速く、ゆっくりと舞った。それらは窓の外に青空が見える教室の風景によく似合った。恭子は慌てて教科書を閉じた。パタンと音がした。

空の引っ掻き傷、消えた。……全部あんな風に消えればいいのに。

教科書の上に突っ伏すと、間の抜けた終業のチャイムが鳴った。


窓の外は快晴で、青空には何もない。

文芸ヌーは無料で読めるよ!でもお賽銭感覚でサポートしてくださると、地下ではたらくヌーたちが恩返しにあなたのしあわせを50秒間祈るよ。