朝、暗殺者の朝(インターネットウミウシ)

 遅刻をした。殺せない。
 原因はわかっている。
 画面にでかでかと映る『ようこそiPhoneへ』の文字を見てすぐに気付いた。
 真夜中にiPhoneのOSのアップデートがあったせいだ。
 快眠度を測るアプリをアラーム代わりにしているのだが、アップデート後の再起動でアプリが落ちてしまっていた。
 快眠度を測れなければ、標的も殺せない。アップデートめ。
 しかしOSのアップデートというのはどうしてこんなにも時間がかかるのだろう。
 そのくせアップデートする前提で話を進めようとするのだ。
 こっちにだって都合というものがあるのがわからないのだろうか。
 いや、今はそんなことはどうでもいい。
 
 GPSのアプリを起動させる。
 標的は今移動中だ。京急線で羽田空港第二ターミナルに向かっている。
 このままでは国外に逃げられてしまう。
 とはいえ、今すぐに着替えて銃や毒の準備をして羽田に向かっても間に合わない。ここ、分倍河原だし。
 とりあえずベランダで育てているプチトマトに水をあげる。
 ぷりぷりとした実をたくさん付けていてかわいいのだ。
 昨日3つほど摘んで食べてみたが、甘味が強めでとても好みの味だった。
 そういえば映画やマンガで「地の果てまででも追いかけて殺す」、という脅し文句をたまに見かける。
 実際、標的に取り付けているGPSは地球上のどこにいても正確に場所を教えてくれる。
 地の果てまで悠々と追いかけることはできる。
 でも、正直めんどくさい。
 いくら仕事とはいえ国外に行くのはちょっと抵抗がある。
 前に射撃訓練を受けにハワイに行った時も色々と面倒だった。
 銃や毒を持ち出すのも一苦労だし、仮に捕まったら向こうの法律で裁かれるし、あとお金かかるし。

 あ、いかん。今なんとなくだらだらと秋田犬の写真を見ていた。
 かわいいんだ。かわいいしずんぐりしてんだ。
 この写真を載せてくれるbotに生かされてるところある。それくらいかわいいのだ。
 そういえば最近このbotがリツイートするマンガを読んでいる。
 マンガって面白いよなぁ。学生時代は本気で漫画家になりたくて、描いてたこともあったんだけどな。
 お金無くなって、画材も全部売っちゃったし。もうなれないだろうな。
 そういえば昨日の夜はこのbotが載せるマンガの広告が気になって、試し読みしたら止まらなくなったのだ。
 でも思えばアップデートが無かったら確実に朝まで読んでただろうな。
 そう考えるとアップデートしてくれてよかったな。
 いや、よくない。寝過ごしてるし。
 そういえば支給されたコルトガバメントのメンテナンスもしていない。
 中途半端に分解したせいで部品が足りない。
 そういえばサイレンサーも無い。あれすぐに無くすんだよな。
 1年前から綿密に計画していたのに。
 どうしよう。依頼人に連絡するの嫌だな。
 だって確実に消されるもんな。
 とりあえずもう1話読んでから考えようかな。
 いややっぱダメだよな、電話するか。
 あぁ、嫌だなぁ。
 

 
 奴はちゃんと寝過ごしたみたいだ。
 仕込んだGPSは分倍河原のアパートから動いていない。
 命を狙われていると気付いたのは半年ほど前だった。
 尾行が分かり易すぎた。私が振り返ると「いけね!」っと言って電柱に隠れていた。
 同業者の中でも恐ろしく鈍臭い奴だなと思った。
 ひとまず奴の周辺を探ることにした。
 奴は個人で活動している暗殺者だ。
 ただ暗殺者といっても奴はまだ一人も殺していない。
 流行病で雇い止めに遭い、社会からはみ出さざる得ない状況になっていたところで声がかかったのだろう。
 暗殺者と称して自分の身代わりで汚れ仕事を引き受けてくれる奴を探していたのだ。

 奴を尾行し続けるうちに、依頼した人物が私に恨みを抱いている有名企業の重役だとわかった。
 ネットを通じて知り合ったそうだ。そのやり取りも手に入れた。
 銃は重役が仕入れたものだ。コルトM1911。ご丁寧にサイレンサーまで用意していた。
 ハワイまで行って銃の撃ち方を仕込んでいたが、正直私を殺せるほどの腕はない。 
 身辺を調べていくうちに、マンガが好きで、酒や煙草を控え、健康に気を遣い、植物を大切に育てていることがわかった。
 段々と奴が憎めなくなってきた。
 そこで私も計画を実行に移すことにした。
 奴のTwitterのアカウントを見つけた。
 奴が好きな秋田犬の画像ばかりを貼るbotになりすまし相互フォローになった。
 そこで奴が好きそうなジャンルでまだ読んだことのないマンガの広告をさりげなく貼り続けた。
 奴がOSのアップデートを嫌っているのもツイートで知っていた。
 よほど憎いのか「生涯やらない」とつぶやいていた。やれよ。

 そして実行日の前日。つまり昨日だ。
 私は奴が外出している間に部屋に忍び込んだ。
 コルトM1911の部品を抜き、サイレンサーを押し入れの奴が昔描いたマンガとかがまとまっている段ボールにしまった。
 奴は快眠度を測るアプリで睡眠を気にし、毎朝決まった時間に起きる。
 そしてベランダで栽培しているプチトマトに水をあげていた。
 なので、ベランダのプチトマトに睡眠を誘発する強力な薬を塗った。
 特に熟れていて美味しそうな3つに塗った。奴だったら絶対食べるはずだ。
 万が一薬が効かなかった場合に備えて、確実に奴が一気読みするであろうマンガのリンクも貼った。
 奴はプチトマトを3つ食べるとマンガを読みながら5分で寝た。
 そして奴が眠ったところでまた部屋に入り、OSのアップデートを始めた。
 これでアプリは起動しない。
 奴は少なくとも6時間は眠るはずだ。そう思った。
 しかしまさか12時間眠るとは。倍寝てるじゃないか。
 
 奴が眠っているのを見届けたところで、私は奴の依頼主の所へ向かった。
 気取ったタワマンの、気取ったソファーで酒を飲んでいた。
 仕事はあっという間に済んだ。
 そして今、始発で羽田空港に向かっている。
 依頼人から貰うべき報酬を奴のポストに入れた。
 依頼人の電話番号も消去して別の番号を入れておいた。
 電話が通じたら、そこに持ち込んでみればいい。
 お前のマンガ、面白かったから。

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