男は黙って(もんぜん)

「な〜に、やっちまったなあ。男は黙って、あら塩!」

 高山の甲高い声が体育館に響き渡る。どうしてクールポコのマネなんて披露することにしたのだろう。宮西第四高校文化祭という幕と杵を持った高山の姿が涙で滲み、二重にも三重にも見えた。

 僕は母の顔を知らずに育った。僕を産んですぐ家を出て行ったらしい。父は僕に構うことがほとんどなかった。たまに帰って来ても酒を飲んで僕に暴力をふるうだけ。給食費は払ってくれたが、それ以外のお金はほとんどもらっていなくて、雑草を食べて飢えをしのぐこともあった。楽しいことなんて何もなく、人生は長い罰ゲームだと思っていた。

 小学五年生の頃、ある日学校にいくと、僕の机に「死ね」「キモい」などの悪口が油性ペンで書かれていた。どうやら雑草を食べているところを誰かに見られたらしい。僕みたいな人間がイジメられるのは仕方のないことだと思った。その日は誰とも話すことなく一日を終えた。
 しかし次の日になると、机の落書きはなく、みんな普通に僕と接してくれた。不思議なことに昨日のことがなかったことになっていた。高山なんかは以前借りる約束をした漫画を持って来てくれた。それは「それでも町は廻っている」という漫画で面白かった。僕は久しぶりに楽しい時間を過ごした。
 数日後、児童相談所の人が家を訪ねて来た。匿名の通報があったらしい。僕は施設で暮らすことになった。実家で暮らすより何倍も快適だった。

 中学二年生になって、僕は恋をした。隣の席に座った多田さん。ショートカットの可愛らしい女の子で、僕は多田さんがパッと花が咲くように笑うのが好きだった。見ているだけで幸せな気持ちになれた。
 ある日、高山と遊びに行く約束をして待ち合わせ場所に行くと、多田さんが立っていた。多田さんも高山から遊びに行こうと誘われたらしい。僕は私服姿の多田さんを見て舞い上がった。おしゃれのことはよくわからないが、ピンク色と紺色で、とにかくカワイイ。高山から少し遅れると連絡が入り、僕と多田さんは二人で街を歩くことにした。楽しかった。多田さんはたくさん笑ってくれた。
 そして1ヶ月後、僕と多田さんは付き合うことになった。僕が施設で暮らしていることなんかも受け入れてくれて、今日まで仲良くやっている。

「黙ってんじゃねえよ」

 僕の声が体育館中に響き渡った。高山が杵を持ったまま、驚いた顔で僕を見ている。

 全部高山のおかげだった。僕がイジメられそうになったとき、陰で高山が戦ってくれていた。そのおかげでイジメはなくなった。児童相談所に連絡してくれたのも高山だった。多田さんと付き合えたのも高山がセッティングしてくれたおかげ。それ以外にも僕が困ったときにいつも高山が陰で助けてくれていた。昨日、やっとそのことを知った。高山の周りの人間に聞きまくって、僕はやっと真実を知った。

「な〜に、やっちまったな。男は……」

 高山がなんとかネタをやろうと声を張り上げる。僕はそれを遮る。

「黙ってんじゃねえよ。男だからって黙ってんじゃねえよ。お前のおかげで僕は今日まで生きてこられたんだ。人並みの幸せを感じることができたんだ。だから言えよ。恩に着せろよ」
「たいしたことしてねえよ」
「やっているよ」
「俺はクールポコ をやりたいって言ったら付き合ってくれるような友達を失いたくなかっただけだよ。たいしたことしてねえんだよ。そこから幸せをつかんだのはお前の力だよ」
「ふざけんな」
「ふざけてねえって!」

 感情が高ぶった高山は杵を臼に振り下ろした。僕は驚いて一歩後ずさりした。そのときになってはじめて僕は体育館中が静まりかえっていることに気がついた。ヤバイ。今するべき話じゃなかった。高山も焦った顔をしている。「どうする?」と高山に視線で助けを求めると、高山はうなずき、大きな声でこう叫んだ。

「あら塩!」

 高山は強引にクールポコ に戻した。

 な〜に、やっちまったな。男は……黙ってんじゃねえよ。男だからって黙ってんじゃねえよ。お前のおかげで僕は今日まで生きてこられたんだ。人並みの幸せを感じることができたんだ。だから言えよ。恩に着せろよ。たいしたことしてねえよ。やっているよ。俺はクールポコ をやりたいって言ったら付き合ってくれるような友達を失いたくなかっただけだよ。たいしたことしてねえんだよ。そこから幸せをつかんだのはお前の力だよ。ふざけんな。ふざけてねえって……あら塩!

 ものすごい長さのネタになってしまった。いつかクールポコに会うことがあったら謝りたい。会場は一瞬どうすればいいのかわからない空気になったが、やがて拍手が広がっていった。僕と高山はその大きな拍手に頭を下げるしかなかった。

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