絶滅(インターネットウミウシ)

  キラキラと輝く水面をイルカが跳ねた。なのに、全然高揚しない。
 モーターボートを操縦する五頭が「おっ、ラッセンみてえ」と嬉しそうに呟き、タバコを海に投げ捨てた。
 豆粒みたいだった四諸島が近くまで迫っている。
 「阿垣ちゃん、迎えに来るのは三日後だかんね!」と五頭は言い、ニカッと笑う。
 少年マンガの主人公のかかような満面の笑みなのに目が全く笑っていないのが怖い。
 この男は初めて会った時からそうだった。
 うちの旅館は今年最高収益をあげる、はずだった。オリンピックの正式種目になっている近代四十二種(フリースタイル)の競技会場が近くに出来たのだ。正直競技の内容が多すぎるし細かすぎるしフリースタイルだしで、試合中も何をしているのかさっぱりわからないのだが、オリンピックを心待ちにする国内外のお客さんからの予約でびっしり埋まっていた。
 なのに、あの新型コロナとかいう訳のわからん病気のせいで全てが水の泡となった。
 先行投資として旅館の設備も大胆に変えた。忙しくなるからと従業員の給料も上げた。ついでに車も買い替えた。その全てが今、借金という形で重くのしかかっている。
 その時に村の会合で出会ったのが五頭だった。東京で動物愛護のNPO団体をやっていると言っていたが、誰がどう見てもヤクザだった。連れてくる後輩もヤクザだし、みんな五頭のことを「兄貴」と呼んでいた。
 五頭は、俺の窮状を知るや否や「阿垣ちゃん、力になるよぉ」と肩を組んできた。天女の刺青がチラリと見えた。ゾッと寒気がした。
 関わっちゃダメだ、関わっちゃダメだ、何度も心の中で呟いたが日々膨らみ続ける借金のことを考えると五頭に頼るほかなかった。
 そして今、モーターボートに乗せられている。五頭のはだけたシャツから時折見え隠れする天女のやさしい微笑みと目が合う。やっぱり、来なければよかった。
 五頭は『どうぶつずかん』と書かれた子供向けの図鑑を開き、こちらに見せる。
 「阿垣ちゃん、こいつね。間違えて殺さないでよ。殺しちゃったらゼロ円だからね」
 その図鑑ページには『絶滅危惧種 ニホンスポポチャマス』と書かれている。
 ニホンスポポチャマス、全く聞いたことがない名前だった。
 一言で言えばタヌキなのだけど、タヌキよりもボテっとしていて尻尾が長い。タヌキとの明確な違いは背中には一本エメラルド色の線が入っている。そして何より目。目が青くキラキラしている。吸い込まれそうなほどの青さ、エメラルドの一本線、タヌキそっくりのボテっとした体型。
 人気が出そうなのに、俺含め世間では全く知られていない。きっと全然可愛くないからだろう。青い目なのに、やたらと野性味が溢れている。懐く気を全く感じられない殺気すら感じる目だ。
 このニホンスポポチャマスが世界中の富豪の間で、億単位で取引されているらしい。
 なぜこんな生き物を、と思うが考えないことにした。金はあるところにはあるのだ。
 そいつらが億を出して買うのであれば捕まえて売るまでだ。でないと、俺が絶滅する。
 モーターボートが四諸島に着く。俺が持ってきた荷物を五頭が浜辺に放り投げた。
 五頭は俺が持っていた図鑑を奪い取ると、ニホンスポポチャマスのページだけ破いて渡してきた。
 「絶対獲ってきてね。でないとどうなるか、わかるよね?」と笑顔で言う五頭の目は、ニホンスポポチャマスそっくりだった。
 五頭は「じゃ、よろしく!」と言い、早々に帰って行った。
 荷ほどきをしながら、くくり罠の準備を始める。
 くくり罠はバネとワイヤーで作る。罠を踏むとバネが作動してワイヤーを動物の足にくくりつけるのだ。低コストで、何より動物を傷つけない。俺にうってつけだと思った。
 俺は一応、罠猟免許を持っている。
 ここ数年旅館付近でシカやイノシシが出るようになり、青年団で狩猟免許を取ろうということになったのだ。結局隣町の猟友会に射撃でオリンピック候補になった人が入ったことで出番はなくなった。
 まさかその時の資格が今、活きるとは。しかし、免許は持っているが経験はない。
 そんなズブの素人に絶滅危惧種を捕獲することなんてできるのだろうか。
 森に入り、生き物がいた痕跡を探す。爪を研いだ跡や食べ散らかした木の実、フンなどが目印だ。人が滅多によりつかない無人島だけあって、森の中は鬱蒼としている。
 ひとまず四カ所に罠を仕掛けてテントを張る。あと三日で罠にかかるだろうか。五頭から渡されたニホンスポポチャマスの写真を見ながら眠りについた。
 翌日、罠を仕掛けた場所を回るが何もかかっていない。ただ一カ所だけ、フンが落ちていた。くくり罠の精度がよくないのかと思い、試しにバネを踏んでみたらワイヤーが俺の足に飛びついてきて抜けなくなった。罠の勢いにびっくりして尻餅をついたらフンがズボンに付いた。もう帰りたい。
 くくり罠を外そうと四苦八苦していると茂みの奥で何かが動いた。息を潜めていると、また茂みが動く。目を凝らすと何かがこちらを見ているのがわかった。
 その何かは、青い目をしていた。
 ニホンスポポチャマスだ。そう思った時、俺の真後ろの茂みが動く。
 振り返ると、真っ黒なウェットスーツのようなピチッとした素材の服を着た大柄な二人組が立っている。顔もヘルメットのようなものをしていてわからない。
 俺以外にも、いたんだ。よく考えれば当たり前だ。生け捕りすれば億万長者になれるのだ。日本どころか世界中から来るはずだ。
 二人組のうちの一人が銃のようなものを構えている。そうか、ここで消されるのか。
 俺は深くため息をついて、ぐっと目を閉じた。

 森の中を歩きながら奴の痕跡を探す。もう三日になるがいまだに何も見つからない。
 もしかして上陸する島を間違えたのかもしれない、そんな不安がふと過ぎった。
 マは私の不安を感じ取ったのか、「イ、腹を括れ。今日ダメなら、死ぬしかない」と言った。
 私とマが知り合ったのは三日前だ。目隠しをされ、船でここに着いた時に初めてちゃんと顔を合わせた。
 マも私と同じように何かしらののっぴきならない事情があってここに来たのだろう。私が「イです」と言うと「マです」と返ってきた。
 ここではお互い苗字だけしか名乗ることを許されない。元々それ以上深入りするつもりはないのでそれくらいが丁度良かった。
 運搬者から三日分の荷物を渡される。「じゃ三日後」と言い、運搬者は帰っていった。マは銃が扱えるらしく、荷物と一緒に猟銃も渡されていた。
 マは海を見つめながら「あ、跳ねた」と呟いた。何の感情もこもっていなかった。
 それから二日間は島の中をひたすら歩くだけだった。
 私は歩きながら、ここに来るまでに調べてきたことをマに伝えた。
 奴は小さな島に生息している。数十年前から生態系が危ぶまれていたが、今年絶滅危惧種に指定された。今、生きたまま手に入れば市場でかなりの高値で売れる。
 だが、警戒心が強く懐かない。仲間の中で順位付けをし、下層のものを虐げる気質がある。
 知能は他の動物よりはあるが、それゆえに油断している部分もある。そこが狙い目らしい。
 「なんだか俺らみたいだな」とマが言う。
 確かに、こんな動物にも順位があり油断もあるのだ。ほんの少しだけ親近感が湧いた。
 その日の夕方に、動きがあった。マが足跡を見つけてきたのだ。しかし、日が暮れてしまうと危険なので翌朝から動くことにした。
 翌日、いままでなかった痕跡を見つけた。これは罠のつもりだろうか。貧相なバネと紐が置かれている。その近くには新たな足跡もある。マは初めて銃をいつでも撃てる姿勢で森を歩くようになった。
 森の中を歩いていると鳴き声が聞こえた。私とマは顔を見合わせ、頷いた。足音を立てないように声のする方へ急ぐ。そしてついに、見つけた。
 ニホン・ホモ・サピエンス。上陸する島を間違えたと思ったが確かにここにいたのだ。
 実物を見るのは初めてだったが、写真のように血色は良くない。野生だからだろうか。
 しかも奴は自分で仕掛けた罠にかかっている。なんとも間抜けだ。
 こいつを生きたまま惑星に連れて帰れば、やり直せる。
 そう思った時、マが「まずい」と言い、慌てて銃を構える。
 ニホン・ホモ・サピエンス・サピエンスは固まって目を閉じている。
 しかし奥の茂みにギラリと光る青い目を見つけた。
 あれは、本当に知性のある狩猟者の目だ。
 狩られる、そう思った瞬間、私とマは宙吊りになった。

 茂みから部下たちが現れ、倒れた三体を地下へ運んでいく。
 間抜けな日本人とどこかの惑星から来た二人組、か。ま、日本人はさておき二人組は高く売れるだろうな。
 あの日本人は自分の罠にかかった挙句、気絶していた。なんとも手間のかからない奴だ。フンをひとつ落としただけでこんなにホイホイ寄ってくるとは。
 あの二人組が狙い通り吊り上げ式の罠にかかってくれてよかった。銃を持っていた方がこちらに気付いた時はヒヤッとしたが、どうにか罠が動いてくれた。
 部下が日本人の持ち物を運んできた。衣類に入っていた紙には『絶滅危惧種 ニホンスポポチャマス』などという勝手な名前が書かれている。
 ふざけやがって。絶滅するのはお前らだ。身勝手な争いで土地を荒らし、欲のために空気を汚す。地上はもはや終わりを迎えている。
 だから我々は海底に新たな世界を見出した。ヒトが知性を持ち始める遥か昔から我々は文明を築いてきた。
 しかし早々に共存を拒絶され、小さくひ弱な躰であるがゆえに見下され迫害を受けた。
 もうこいつらには関知しない、それが我々の見解だった。
 我々を導いてくださった師もそう言っている。遥か彼方の惑星からこの星へ来て、本当に知性をもつ者に生きる術を教えてくださっている。
 師が、この島への侵入者を教えてくれた。
 師は音で全てを把握し、歌で我々に伝えてくれる。
 昨日も「侵入用に使ったモーターボートと宇宙船も破壊したよ」と歌っていた。
 浜辺に出て、我々も「任務完了」の歌を送る。
 夕陽でキラキラと光る水面を、師が跳ねた。

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