沈殿音(タカタカコッタ)
不燃ごみが鳴っている。不燃ごみが、鳴っている。
鳴るゴミは不燃。鳴らないゴミは可燃。
私の家の前の電柱は、あろうことか、ごみ収集場である。町内の人々が春夏秋冬、雨降り、雪降り構わず、月、木と可燃ゴミを、水曜は資源ゴミを、第4金曜日には不燃ゴミをそれぞれそこに出していく。決められた曜日の朝8時以降に出すという決まりが一応あるのだが、前日の夜中にこっそりと出す者、堂々と1日前から出す者、いつまで経っても可燃と資源の区別のつかない者などが後を絶たない。それならまだしも、毎回10時半頃にやって来るゴミ収集車が去ったあとにさりげなく出す者も散見され、そういった場合は丸2日以上、私の家の前の電柱に他人のゴミが寄りかかっているのである。電柱の根元には町内会で用意してくれた黄色のネットカバーが括り付けてあるのだが、そのカバーを本来の目的通りに使用するのは私だけであり、大体の場合、ネットの上にゴミ袋が横たわっている。私はネットからはみ出したゴミ袋や、ネットの上に寝ているゴミ袋を見つけると一旦蹴飛ばした後、(蹴飛ばすといっても散らかった養鶏所のような中身が飛び出さないように十分に慎重を期すが)そっとそれらにネットを被せるのである。黄色いネットの中に収まった半透明のゴミ袋は和菓子屋の皿に盛られた柔らかい大福のようにいじらしく肩を寄せ合い、それでいて絶妙のバランスで互いに支えあい、見ようによってはネットをして頭から布団を被るが如く、皆安心して眠っているようにも見えるではないか。私はその様子を見るのが好きだ。そしてこれは私がホームセンターにて自腹で買った物なのだが、ネットが風で捲れ上がらないよう、立方体の置き石で角を押さえるのである。
8月も終わりかけのある日の早朝、ピピピと鳴る目覚まし時計の音でぼんやりと眠りから立ち上がった。エアコンの切りタイマーが切れて数時間経過したのだろう、部屋の中はすでに暑く天井がカーテンの色に染まっている。体中にじっとりと汗をかいているのを自覚しながら片手にとった目覚まし時計を見ると起床時刻までにはまだ1時間ほどある。なんだ、このピピピ、ピピピと鳴る音は。
すぐに察しがついた。不燃ゴミが鳴っているのである。私の家の前の電柱に寄りかかって打ち捨てられているであろう不燃ゴミの袋の中の目覚まし時計が鳴っているのである。どこかの誰かが捨てた目覚まし時計が不燃ゴミ袋の中で鳴っているのだ。ご主人さまに見捨てられた哀れな目覚まし時計。誰も相手にしてくれないとも知らずに、健気に鳴り続ける目覚まし時計。私だけに聞こえるその音。一方的に話しかけてくる目覚まし時計。その話を聞きている私。それはベッドに寝転がって目を瞑っている私とおしゃべりな目覚まし時計との静かな交歓にも似た魂の対話である。昨日まではゴミではなかった目覚まし時計。しかし今のお前はゴミだ。既にゴミだ。ゴミ。ピピピ。いくら鳴ってもご主人様は君の頭の出っ張りを優しく押してはくれないよ。ピピピ。今頃、別の目覚まし時計の頭を撫でているはずだよ。ピピピ。細くて柔らかい指の腹で。ピピピ。それとも君のご主人様は爪の黄色くなった老人かい。ピピピ。君はそのゴミ袋の中でゲップのような刺激臭のする入れ歯(しかもそれはクジラの腹に硬くへばりついた牡蠣のような歯垢にまみれている)と一緒なのかい。ピピピ。不幸なことに君は君自身の目覚ましで起きてしまったんだ。ピピピ。朝6時に。ピピピ。君のご主人様の意地悪な時限爆弾と言っても良い。ピピピ。ゴミ収集車に回収され、圧縮される時、君のピピピ音はひときわ高い断末魔を響かせるのだろうか。ピピピ。それをご主人様は知らないんだよ。ピピピ。
7時。私の目覚まし時計が鳴り、私は起きた。外から聞こえる目覚まし時計の音をピピピと聞きながら炊き立てのご飯に味付け海苔、焼き鮭とみそ汁の朝食を摂り、20分掛けて歯を磨き、パリパリのシャツとパンツを身に着け、体育座りでテラテラの茶色い革靴を履き、そして玄関扉を開ける。夏の朝の陽ざしが凶暴さをもって薄暗い玄関に差し込み、思わず手で目の前に庇をつくる。陰になった目から電柱の下に不燃ゴミの袋が見える。ピピピと泣いている半透明の袋が見える。いつまで鳴り続けるのだろうか。私は考える。電柱の足元にゴミ袋を残し、出勤しながら考える。1時間ほど鳴り続けて止まるのだろうか。電池が切れるまで鳴り続けるのだろうか。いずれにせよ誰の為でもなく鳴るあの音は夏の日に沈殿し続けるのだ。通行人の中にはその音に気付く者もいるだろう。しかし気付いたところでその音は何の意味も持たない。一度も反復されない記憶として一瞬を与えられるだけだ。それに夏には沈殿がよく似合うではないか。私はそう思いながら歩みを進める。それよりも電柱が不憫だ。あのピピピという音を何時間も聞かされっぱなしじゃないか。ゴミが出ていない日は犬に用を足され、犬が用を足さない日はゴミに足元を取り巻かれて。なぜ、自分だけがゴミ収集場に選定されたのか、1本向こうの電柱は電柱らしくロマンスグレーの背筋を伸ばして誇らしげに屹立しているではないか。私の電柱は自らの理不尽な運命に泣いているに違いない。可哀そうな私の電柱。帰ったらきつく抱きしめよう。
電柱に感情移入してしまった私は、どうやら大きな独語を発していたようだ。すれ違う人に避けられるような雰囲気があって我に返ると目の前に迫った駅ビルの電光掲示板の日付が目に飛び込んできて愕然とした。夏の陽光よりも眩しい文字が浮かんでいる。8月26日木曜日と。
不燃ゴミの日は毎月第4金曜日だ。つまり、明日だ。そして私は思う。ピピピ音よ、どうか今日という夏の日に、肛門から押し出されたような晩夏の一日に沈殿し続けてくれと。誰の為でもなくただ沈殿し続けてくれと。誰の気にも留められず、不意に途切れることなく沈殿し続けてくれと。
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