体育の日(タカタカコッタ)
毎年、体育の日の前日になると、ばあちゃんがバスでやって来る。天然パーマで背の高いばあちゃん。肘に掛けた買い物袋におやつをいっぱい詰めて。
僕が子どもの頃の体育の日は10月10日と決まっていたから、学校から帰るとばあちゃんと母がリビングでテレビを見ていたり、たまたま土曜日だった時には、ばあちゃんが到着する時間に当たりをつけてバス停まで迎えに行った。バス停は近所の高校の前にあり、緑色の金網越しには大きなグラウンドが見える。グラウンドの上には薄くて青い秋空が広がり、その中には更に薄い雲が白く流れていた。
体育の日は、子ども会の運動会の日と決まっており、これには父兄も参加するから学校行事の運動会とは一味違う盛り上がりを毎年みせていた。50メートル走やリレーの景品は、洗濯用洗剤や、箱ティッシュ、台所用洗剤、食用油などの日用品や、ノートや鉛筆などの学用品が用意されていた。参加賞には駄菓子や、即席麺が貰えて、僕たちは硬い即席麺に付属のスープの粉をまぶしてボリボリと食べながら応援するのだった。
ばあちゃんは、運動会の日の朝、母と一緒に弁当をつくってくれた。早起きしている僕もばあちゃんと一緒になってつくった。炊き立てのごはんを炊飯ジャーからちらし寿司の桶にドバッと移し替えて、塩を適当に振りかけて、水で濡らした手のひらで手際良く三角を握っていく。真ん中に窪みをつくって僕の好物の赤いソーセージを入れてくれる。
「ソーセージばっかりは体に悪いから、昆布や鮭も食べなさいよ」
母の口出しをよこに
「運動会の日くらい、好きな物いっぱい食べればいいよねー」
とばあちゃんが言う。母の目は真剣だが、ばあちゃんは全く気に留めていない様子で、どんどんソーセージのおにぎりを握っていく。ぼくがばあちゃんの顔を見ると、目で微笑んでいるばあちゃんと目が合って、ばあちゃんは声をあげて笑った。
運動会の演目に祖父母と参加する玉入れ合戦があって、毎年ばあちゃんと僕で参加していた。
「戦争の時にB29めがけて石投げてたからね、ばあちゃん玉入れは得意だよ」
といつも言う。その自信の根拠に全くピンと来なかったけど、確かにばあちゃんは玉入れが上手だった。グラウンドに散らばる紅白の布切れに包まれた重くも軽くもない玉を、「えい!こら!えい!」と籠に向けて放り投げる。B29の飛ばない青空に向かってつま先で跳ねているばあちゃんは僕の存在などすっかり忘れて楽しんでいる様子だった。
昼休憩になると、せっかくばあちゃんが作ってくれたソーセージのおにぎりも弁当もほどほどに、僕は友だちと遊具で遊んだり、校庭の片隅の人工川に靴を脱いで入ったり、その川に飼われている魚に駄菓子をやることに夢中になった。子ども会の運動会は学校行事ではないので、小学生たちはやりたい放題だ。大人たちはビニールシートの上でビールを飲んだり煙草を吸ったりしながらそれぞれの話に夢中になっていた。大人のバカ笑いが校庭にカラッと響く。ばあちゃんは日陰に座ってうたた寝をしている。
最後の演目である子ども会対抗リレーが済んで、運動会は終わった。夕焼けの下をばあちゃんと一緒に帰ってそのまま風呂に入いる。湯船に一緒に浸かってしわしわになった僕の指先を見て
「一緒だねぇ」
とばあちゃんが笑う。
夕飯を食べ終え、ばあちゃんと同じ布団で寝る。細長くてゴツゴツした指先を揃えてずっと頭を撫でてくれている。明日、僕が学校へ行っている間にばあちゃんはバスで帰って行く。
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寝巻きやタオル、コップと少しの雑誌を鞄につめると、病室の片付けは終わった。テレビ台の上のガラス花瓶の水を母が捨てに行った。病室に戻って来た母は遠慮がちに「花は捨ててきた」と言った。僕は頷きながら廊下の手洗い場の脇にあるゴミ箱に捨てられた花を思った。ばあちゃんの荷物はあまりにも少なくて、冷たい花瓶の重さだけが腕にぶら下がった。
がりがりに痩せたばあちゃんは既に葬儀場の小部屋に敷かれた布団の中で冷たくなっているだろう。ばあちゃんは足をもつらせることなく、バスから降りることが出来ただろうか。病室の窓から見える10月10日の薄い青色の秋空には雲ひとつない。遠くからヘリコプターの音だけが聞こえる。そして今も、この空の下のどこかのグラウンドで、紅白の球が秋の青空に放たれているんだなと思った。
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