極端な人(タカタカコッタ)
私の家系には私の知る限り極端な人はいない。凶悪犯罪者や著しく発狂した者、極めて優秀な学者や、聖人、賢哲など、そういった人々に私も含め親戚縁者一同全く縁がなく、それはそれはみな平凡な人生を送り終え、また、今も送っている。
先祖として顔を思い出せるのは祖父母までだが、私が産まれた時には曾祖母も存命であり、実際に曾祖母に抱かれている写真も残っている。ネガ焼きの写真の中に明治生まれの婆さんがおめかしをして、無理矢理つくらされたようなひきつった笑顔でひ孫である私を抱いている。陽の光が入っている写真は、表面のざらざらした手触りに昭和独特の色褪せを重ねていて古い写真独特の暖かさを醸し出している。そう言えば祖母の家の仏間のなげしに何枚かの先祖の遺影が飾られていたが、それらの目の焦点の合っていない白黒写真は数年前の火事で全て焼けた。
それは、私がかかりつけの医院のトイレから出た後のことだった。私の次にトイレに入った女性患者が大笑いしながら出てきて、小走りで受付に駆けて行く。
「ちょっとー、ねぇ、ハハハ、ここのトイレ幽霊が住んでるわよー、ハハハ、ハハハ。しかもぎゅうぎゅう詰めでさぁ。お姉さん知ってる?ハハハ。ハハハ」
受付のお姉さんは慣れた様子で「そうなんですね」と受け流すが、つい先ほどその幽霊が鮨詰めになっているトイレに入っていた私は、幽霊のうちの何人かが自分の周りに纏わりついて出てきたのではないかと気が気ではなくなってくる。そう思った途端に肩が重くなり、頭痛まで始まり出す。どこかで除霊してもらおうか、それとも滝に打たれようか。勝手に滝に入っていいものだろうか。滝行の白い装束はどこに売っているのだろうか。そんなとりとめのない思いを巡らせている私をよそに、その女性患者はフッと無表情に戻り、何事もなかったように浅くソファーに腰掛け、視線の先にある仔猫のカレンダーに見入っているのである。クラシック音楽の流れる待合室の壁には音量の絞られたテレビが設置されており、落ち着きを取り戻したい私はそのほぼ無音のテレビに目を遣った。他の患者も一様にほぼ無音のテレビを見つめていた。しばらくして、この待合室の患者の大多数が靴の踵を踏んでいることに気付いた。
それから数日後、スーパーで買い物をしていると、数メートル先の冷気で満たされた生鮮野菜コーナーの前で、陳列されている水菜に向かって
「お前はあっちに行け!来るな!ウヲー!あっち行け!」
と怒鳴りつけている白髪の老婆を見た。腰の曲がったその老婆は左手で買い物カートを支え、空いている右手をぐるりとまわしながら水菜に向かって叫び散らしているのである。私は今夜の鍋の野菜に水菜を買うつもりでいたが、どうしてもその水菜を買うことが出来ず、老婆が立ち去った後、代わりにほうれん草を買った。水菜に幽霊が取り憑いている気がしたからだ。そう思うと、先ほどの老婆が「お前はあっちに行け!」と罵倒した相手は、水菜ではなく実は私、もしくは私に憑いている霊に対してではなかったのではないかと思えてきて、そうなると老婆は不思議な能力で数メートル離れた場所の私に憑いている霊に気付いたとしか思えなくなった。先日の医院での幽霊がこんなところで顔を覗かせた。
夜中の台所で、祖母は顔中に味噌を塗っていた。認知症と診断され、思いもよらないハプニングが続いていたが、自宅で面倒を看られる限りはできるだけ看ようと家族で話し合っていた。しかしこの一件でそれは限界となった。私の家系には私の知る限り極端な人はいない。いや、それはわからない。家系はすぐ目の前で闇に埋もれているが、その先を何世代も遡ればとんでもない奇人変人もいただろうし、時代に因れば人殺しさえしていたかも知れない。自分から枝分かれしていくその先に、どんな人間がどんな形で立ち現れてくるのだろう。更に言えば、そのもっと先は猿に繋がるという。歯茎をむき出しにして敵を威嚇する猿。そんな遺伝子をもつ私が正常でいられるはずはなかった。
私は今、全裸で真夜中の町を走りに出るところだ。全ての焦げ付いたけがれと頭足類の足のように絡みつく煩悩を振り落とし、払いのけるスピードで真夜中を突っ走ってやろう。七色に輝くサングラスをかけ、それでいて口元は涼しく、颯爽と!颯爽と!颯爽と!街路を走り抜けてやろう。流れる先の遮られた水が生き残るには、蒸発して姿を変えるしかないのだ。私は奇異の眼差しで見られるのであろうか。それならば歯茎をむき出しにして全身全霊を捧げ威嚇してやろう。遥か古から脈打つ血液の流れには誰しもが美しい欠陥を秘めているのだから。それでこそ世界は眺望絶佳と言えるのだから。
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