映画監督・森崎東さんの思い出〜自慢話〜(葱山紫蘇子)
20年以上昔、ミニシアターで働いていた。その映画館では年に一度、映画製作のワークショップを大々的に行っていて、その年は庶民の喜劇ながら、社会からつまはじきにされている人々の怒りや悲しみを描き、国内外で高く評価されている映画監督の森崎東さんが来られた。森崎さんにはシナリオの添削をしていただくことになっていて、前もって募集していたが、宣伝不足だったのか、作品が一つ二つしか集まらず、社長が直前になり慌てて「誰かなんかない?!」と従業員に声をかけていた。
私はその時には劇団をやめて、できれば1人でできる何かができたらなあと思いながらも何もせずにうすらぼんやり毎日を過ごし、映画館に勤めているのにも関わらず漫画しか読んでない、地獄のミサワ的な若者だった。
でも、せっかく見てもらえるならと、以前に思いついた短いお話のあらすじを、A4用紙に2〜3枚くらいに書いてお渡しした。あらすじと言っても、プロットと言うにはほど遠い、散文みたいなものだったので、書いて出してみたものの、こんなものは評価に値しない!と怒られたらどうしようと、すぐに不安になった。
結局、作品は私のと、もう1人別のバイトの子のと、応募作品2つの計4つになった。森崎東監督作品の上映(私は仕事中で観れなかった)後、森崎さんの映画についてのトークショー、休憩を挟んでから特別講義ということで、約70人ほどのお客様がいる中、応募作品の講評が始まった。
話し始めた森崎さんは、とても穏やかで優しい口調だったのが、とても意外だった。なんとなく私の勝手な印象で、怖くて険しい方なのかなと思ってたので余計にそう感じた。
私の講評の番が来た。確か、「短いので読みますね」と言って音読してくださったと思う。まさか大勢の人前で自分の文章が音読されることになるとは思っておらず、恥ずかしさで舞い上がり記憶が曖昧になっている。
私の書いた内容を簡単に書くと、ある単線の駅にて、電車を待っている色々な年代の10人ほどの人達が、偶然、1羽の鳩に注目し、飛び立つ時に目で追うと、太陽が雲から出て目が眩みUFOと見間違う。しかしすぐに気がつき、そんなことないよねと見知らぬ人達が笑い合う。電車が来て全員が乗り込む。乗客の1人の少年(UFOの本を読んでいた)が、あれはほんとはUFOだったんじゃないかと思いながら窓の外をじっと眺めている。
始まりもオチもないただのメモみたいな話だったが、悪くないよいいと思う、と、とても真摯に感想をおっしゃってくださった。少年が手に持っている本のタイトル(確か「いる?いない?UFOのひみつ」みたいな感じだったと思う)がいいね、とも。ただ、シナリオライターなら最後の少年のカットにぱしっと決まるセリフを書くんだけどもね、という様なこともおっしゃってくださった。
はーなるほどなー、と感心してありがとうございます。とお礼を言った。お客様からも拍手をいただいた(私にではない)。
その日のイベントが終わった後、打ち上げでお話をしたかったが、残念ながらかなわず、ただ講評の言葉だけが私の中に強く残っていた。
その後、その言葉を励みにシナリオライターになりました!と言えればかっこいいのだが、創作活動はそれっきり何も行わず、諸々あり映画館をやめ、結婚して、子どもを産んで、離婚して、今に至る。最近やっと、書き出し小説で採用されたり、物件ファンでお仕事をさせていただくようになったが、シナリオは書いていない(ジャンジャンオペラは書いたけど)。ただ、「シナリオライターなら決まるセリフを書く」と言う言葉は今も心の中に強く残っていて、文章を書く時に「プロならここでどう書くかどう決めるか」を思いながら書いている。力量が伴ってるかどうかは、さておきだけど。
だから、森崎東さんには多大な恩義を感じている。森崎さんがお亡くなりになられて1年が過ぎた。しかし、恩義を感じながらも森崎東監督作品をまだ一つも観たことがないので、この20数年間、罪悪感も抱いたまま過ごしています。
ひどいな私は。