シモヤマ(紀野珍)

 その出会いがなかったら、いまの自分はない。そんな人物がひとりいる。
 シモヤマ。中学校の同級生だ。

 シモヤマとは、中学に進学してほどなく知り合った。
 シモヤマと同じ小学校から来たクラスメートがその存在を教えてくれた。忠告されたのだ。「あいつはちょっとやばいから気を付けろ」と。
 そう吹き込まれて見たシモヤマはたしかにやばそうだった。目付きがふつうでなかった。クラスメート曰く、とにかく喧嘩っ早く、キレどころが分からないあたりが「やばい」らしいのだが、肩を怒らせ、三白眼の上目遣いで辺りを見回す様子には、なるほどそんな印象を受けた。全身から「俺に近寄るなよ」の薄黒い空気を発散していて、実際、クラスでは腫れ物的に扱われていた。捨てられて人間不信に陥った犬みたいだ、と思ったのを覚えている。

 そんなシモヤマと友だちになった。どういう経緯かはよく覚えていないが、共通のゲーム仲間がいてちょくちょくゲーセンなどで出くわすようになり、同じクラスの二軍三軍同士、話してみたらことのほか馬が合った、といったところだと思う。気が付けば、学校でも学校の外でもつねにつるんでいるような間柄になった。
 心を開いた相手に囲まれているときのシモヤマは、とても人なつこい人間だった。声を掛ければ好奇心がこぼれそうな笑顔を向け、なんでもおもしろがって耳を傾ける。ひと通り聞き終えると、とっておきの話題を披露してみんなを笑わせる。我が強く、ときどき癇癪も起こす気分屋で、へそを曲げれば捨て犬の顔を見せることもあったが、見方を変えれば裏表がなくさっぱりした気質とも言え、「やばい」どころかとても付き合いやすい友だちだった。

 シモヤマは絵がうまかった。休み時間、ノートや黒板に漫画のキャラクターなどを迷いのない筆さばきですらすらと描き上げ、僕らをよく感心させた。手先が器用で目がよかったのだろう、模写のスキルは常人離れしていた。また、身近にいる人間をおもしろおかしくデフォルメしてイラストにするのも得意で、クラスメートや教師をモデルにした珍妙で下品なキャラクターをたくさん生み出した。対象の特徴を的確に捉えたうえで悪意をべったりと厚塗りするのがシモヤマの真骨頂で、当人に見せられないような「作品」しか描かなかった。
 初めて見たときから、シモヤマの絵の才能に魅了された。勉強も運動もからっきしだとか、わがままで他人の気持ちを酌めない性分だとかはどうでもよく、絵を描いて周囲を楽しませる才能を持つ、その一点だけで僕はシモヤマを尊敬した。
 シモヤマは僕が人生で初めて出会った「クリエイター」タイプの人間だったのだと思う。

 中学に上がって最初の夏休み、シモヤマの家に行くことになった。暇な毎日、何もすることがないからせめて誰かの家に集まってだらだらしよう、そのローテーションにシモヤマの家も入っていた。
 誰の家に集まろうがやることはほとんど同じ。ファミコンで遊んだり、漫画を読んだり、レンタルしてきたビデオを見たりと、本当に無為に夏休みの午後を過ごしていた。
 あ、そういや、と寝転がっていたホストのシモヤマが起き上がる。床に積まれた雑誌の山から一冊抜き取り、ページをめくって「ほら」と僕に渡してきた。
 それは週刊のプロレス専門誌で、開かれていたのは読者投稿コーナーのページだった。何点か掲載されているイラストのハガキ、そのひとつがシモヤマのものだった。

 ——すげえ。

 衝撃を受けた。シモヤマの才能はオトナに、世間に認められるレベルのものだった。その事実を突き付けられ、自分でも戸惑うくらいの大きな衝撃に全身を貫かれた。
 振り返ればあの瞬間、人生の転轍機ががちゃりと倒されたのだ。
 心の底から「うらやましい」と思い、同時に「僕もやってやろう」と決意した。何を。投稿を。

 すぐに行動を起こした。日本でいちばん売れている週刊少年漫画誌の投稿コーナー、そこへ狙いを定め、学業をうっちゃる熱量でネタを考え、週に一度大量のハガキを投函する。初採用で歓喜の絶叫をあげたのが約二ヶ月後のこと。友人の「ハガキ職人」デビューをシモヤマも讃えてくれた。
 それで僕はいよいよ本気で投稿に打ち込み、コンスタントに採用されるようになってますますのめり込む。とくに投稿を趣味にしているわけでなく、そもそも投稿なんて一所懸命やるものじゃないというスタンスのシモヤマからしたら「なにがんばってんの」という感じだったらしいのだが、それでも毎週発売日に雑誌をチェックし、「また載ってたじゃん。やるなあ常連」と言ってくれたのはうれしかった。
 中学を卒業するまでシモヤマとの交友は続き、シモヤマと疎遠になったあともシモヤマきっかけの僕の趣味は続き、いまに至る。

 冒頭に「その出会いがなかったら、いまの自分はない」と書いたが、そうしてある「いま」がいいものかどうかはまたべつの問題である。それがこの自分語りの要点だろう。シモヤマと交差していないルートがよかったなんて気持ちはこれっぽっちもない。シモヤマは僕にもっとも適した趣味を与えてくれた大恩人だと思っている。ただ、そうでないほうのルートはどんな人生だったのかとときおり夢想することがある。それだけの話だ。

 ——道を狂わせてやったぜ。

 シモヤマならそう言って笑うかもしれないが。


     * * *


 さて、ここまで筆者の益体もない思い出話にお付き合いいただいたわけだが、その中心人物であるところの「シモヤマ」がじつは女子であると告げたら、あなたは驚くだろうか。さらに、彼女が筆者のいまの妻、連れ合いであると知ったら、本稿の印象はどれほど変わるだろうか。


 どちらもそんなことはないので安心してほしい。悪ふざけです。

 シモヤマはずんぐりむっくりの、粗暴なおにぎりみたいなルックスの男子でした。高校に入ってすぐ、仲間うちの誰よりも早く童貞を喪失したと聞いたときは驚いたものです。
 今回まとめたエピソードはおおむね真実。シモヤマと最後に会ったのは二十歳くらいのころ、筆者の帰省時に。やつがいまどこで何をしているかは知らん。
 以上。

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