月桂樹は夜も囁く(タルク石)

人生とは、選択の連続である。———シェイクスピア

——先客が居る、もちろん女性だ。
その通路を横目に澱みなく通り過ぎる。
閉店間際の通い慣れたドラッグストアで私は挙動不審だった。

我が家は妻が一人、娘が二人の四人家族だ。
亭主関白という言葉が死語というより生まれておらずカカア天下気味だが、娘たちも父より母の方が強いという認識が有るが権力に擦り寄るというより無関心というかフラットだ。

「シェアハウスみたいな家族」と妻が職場で言ったらしいが大体合ってる。
食事は気が向いた誰かが作ったものを皆んなで食べる。
残り物は次の機会に食べる。
一家団欒というスタイルは卒業し、タイミングが合った者どうしで食べる。
夜の食器洗いは私が全部やる。
翌朝妻が食器棚にしまう。
朝・昼は誰がどうしているか不明だ。
お風呂と洗濯は銘銘だ。
皆んなで食べるのは休日の私が作る夕飯の時ぐらい。
娘たちが成人してからこの形で落ち着いている。

帰宅するのが一番最後の私は買い物を頼まれる事も多い。
常々「NOから始まるサービス業は無い」的な考えの私が買い物ごときにNOと言うことはないのだが…

今日は難題、生理用品。

——もう一度、生理用品を取り揃える通路を横目で見る。
誰も居ないようだ。
好機だ。

羞恥心に蓋をし、生理用品群に向かい合う。
多い、種類が多い。
少ない日、ふつうの日、多い日、特に多い日、それに夜用で倍、羽根付きでまた倍、さらにメーカー別で天文学的種類になる。
「人生とは、選択の連続である。」そうかもしれない。
無理だ。
ゴール下に3秒居ると審判に笛を吹かれる。
離脱だ。

——トイレットペーパー群の前に移動し、注文してきた娘にLINEを送るとコレとコレと、画像が送られてきた。

多い日の昼用と夜用で羽根付き。
メーカーが別だ。何か大きな違いがあるのか?
いや、邪推だ。
心を無にしなければ。
スマホの画像と商品を見比べていれば「頼まれた」の体でじっくり選別できる。ありがたい。

——呼吸を整え、再度商品に向き合う。送られてきたパッケージの画像のおかげで目を泳がせずに済む。字が小さく老眼気味の視力にはキツかったが、目にも優しそうな昼用と、濃く深い眠りにいざなわれそうな夜用それぞれの多い日用をカゴに入れた。周囲を見渡したが誰にも見られていない。
完璧だ。

——レジには高齢の男性客が居た。(多分)ベテランの女性店員からアプリ登録を勧められているようで促されるまま入力していた。時間がかかりそうだが、特に急ぐ必要もないのでレジ横のガムなどを見ていた。

私は急いでいなかったが、レジの女性店員はスタッフの呼び出しボタンを押した。そうか、閉店後にレジを閉め、商品のフェイスアップをし、フロアの掃除を済ませて早く帰りたいはずだ。

——小走りでやってきたのは若い女性店員。前髪はスカスカしておらず、嫌味のないくらいに整えられた眉に少しかかるくらいか?自前のまつ毛をくるりとし過ぎず切れ長の目、涙袋もある。髪の毛は鎖骨程の長さで軽め、染めてないのか所謂ヴァージンヘアーを後ろで一本に結び、耳にピアスの穴は開いているだろうか…見えないっ、鼻や口はマスクで覆われ見えない…くっ…。胸は興味無いからスルー。お尻は小さめ(残念っ!)スラっと長身でスキニーな、そんなところに穴は開かないダメージ加工のジーンズを穿いて足元は白×緑のカントリー⁈

終わった。

「次のかた、こちらへどうぞ」

終わった。

違うんです!これは家族に頼まれた物なんです!
気持ち悪いと思われたくない!
理解してると思うが弁解させて欲しい!
オジサンは若い女性が好きだが好かれなくていい!多くは求めない!0がいい!0になろう!±0でいい!マイナスな感情を抱かれたくない!

急に胃とその周囲の肋骨がキュンキュン痛んだ。これは…覚えのある懐かしい痛み。
思春期のあの頃味わった、初めていかがわしい本を買った、音楽雑誌の下に隠すようにレジに出したあの日と同じ痛み。
動揺を隠しカゴを出す。
慣れた手つきで紙袋に入れる店員。
スムーズさが有難いと思った刹那、チラリと目線が来た。
女性はチラリと胸を見てくる男性の視線に100%気付くという。
オジサンだって気付く。
レジの女性に悪気も何もないと思うが、痛い!一瞥が痛い!

「アプリのバーコード…」
はい!
「○ポイントカード…」
はい!
それぞれ食い気味にかざす。
早くこの場から立ち去りたい!

いや…まだ挽回できるかもしれない…

そう、結婚指輪だ!自意識が高く気の弱いオジサンは無駄に周到だ!
左手薬指に鈍く光る指輪を見て貰えれば相殺できるかもしれない!マイナスに振れている針を±0にできるかもしれない!
これが考えうる限り最強の免罪符だ!

右手に財布を持ち、左手でお札を取り出す。
不自然だが手の甲を上にして指輪を見せつけるようにゆっくりとトレーにお札を置く。

効果はあったのか?初めから何事もなかったかのように店員は平静だった。

そうだ、私はやりきった。
完遂だ。

——無駄な一人相撲が終わり、サッカー台でバックパックに商品を詰め込み外に出た。

胸元で汗が滑っている、脇もしっとりしている、グレーのTシャツだったなら黒く染みてた事だろう。
自転車に跨ると春の夜風が心地よかった。

——帰宅すると家人たちはテレビを観ていた。父の凱旋を祝う事もない、いつも通りの我が家の日常。
平和だ。

娘が紙袋を開けた…
「あれ?羽根付きって言ったのに」

それではお聴きください。

赤い鳥で『翼をください』

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