レはみかんのファ(puzzzle)
飲食物は薬局では買わない。以前からそんな拘りがあった。まだまだ暑い日が続く外回り、乾いた喉を潤すための一本を自動販売機で買う気になれない中産階級の小市民。コンビニのプライベートブランドという選択肢もあるけれど、大体お茶かカロリーゼロのサイダーじゃない。スポーツドリンク的なものだったら薬局でもよしとしよう。国産スポドリ最大手と言ったら製薬企業だし。そして、俺は自動販売機の半分程度の値段でそいつを手にした。気をよくしてほかにお菓子でも買ってやろうかしらなんて思いに駆られるが、飲食物は薬局では買わないと拘っていたころの若き自分が白い目でこっちを見る。俺はスポドリだけを手にレジへ並んだ。その時だった。
「レはみかんのファ」
俺は耳を疑った。ドレミの歌の旋律で確かにそんな言葉が鼓膜を優しく打った。否、心に響いた。その発想はなかった。そんな定型文句で片づけてしまうのは失礼ではないかと思うくらい心に響いた。
レジに並ぶ親子、母親にまとわりつくご令息。彼女はドレミの歌にうんざりしている。ご令息は母親に張り付きながらグルグルと周回する。歌は続いていく。「レはみかんのファ」に憑りつかれた俺は、それ以降の歌詞が一切耳に入ってこなかった。知る限り「レはレモンのレ」だ。ご令息は同じ柑橘なのだからいいではないかという考えで、ここに「みかん」を持ってきたとも考えられる。でも、音階で言うならば「ミ」のほうがふさわしいわよね。そして、「みかんのファ」で問題はないのか。ご令息はこの二小節の間に「レ」「ミ」「ファ」を入れ込むという高度な技法を選んだのではないか。
おそらく俺の推測なんてどれもあっていない。そこにはテーマやモティーフなどは存在しない。限りある言葉で溢れる思いを即興でつないだフリースタイル。
「シはしあわせよ」
そこはそのままなんだ。あまりにできすぎた歌のようにも思えるが、グルグル回り続けるご令息の顔は幸せそのものだった。相変わらず母親はうんざりしている。そのコントラストが素晴らしく、思いを文にしたためる。