見送る(吉田髑髏)
帰宅して好きな芸人の訃報をニュースで見ていたら電話がきた。
「起きていた?」
「うん、どうした」
「さっき施設から電話があって、おばあちゃんがね、亡くなったの。明日お通夜になるからお昼ぐらいにこっちに来てきて。手伝ってもらう事があるかもしれないから」
親族への連絡あるのだろう母は、僕の返事も聞かずに、忙しなく電話を切った。
駅に着くなり降り出した雨、腹回りと臀部がキツくなった礼服、慣れない革靴の居心地の悪さ。心の中で舌打ちを百回打ったところで、祖母が入居していた特別養護老人ホームの近くの斎場に着いた。
控室に通されると、父、母と叔母夫婦が少し疲れた顔で出迎えてくれた。
「おばあちゃん見てあげて。いい顔しているから」
促されるままに祖母と対面した。数年ぶりに見る顔は以前より痩せてしまったがとても穏やかだった。
「百二歳だから大往生よね」
「最後は会えたの?」
「コロナだから施設も面会ダメになってね。最後の二年は会えなかった。それだけがね、心残りだわ」
目を腫らした叔母が悔しさを噛み締めていた。
祖母は子供が嫌いだった。そこに孫という例外はない。
僕が母にほんの少し注意されただけでも、母に迷惑を掛けるな、と問答無用で叱ってくる人だった。
孫よりも娘の方が可愛かったのだ。
当然、僕は祖母が嫌いになった。
大人になり、可愛がってもらった時期もあったが、根底にあるわだかまりはそう簡単に払拭できるものではない。
通夜はご時世もあり、親族八人だけのこじんまりしたものになった。
式が終わり、みんなで助六寿司を食べ、祖母の話で盛り上がった。
八十歳でフラダンススクールに通い始めたが、「男子がスケベな目で私を見てくる」という理由ですぐにやめた話。
「私もついに携帯電話デビューしました」と嬉しそうに固定電話の子機を持ち歩いていた話。
母と叔母をおぶってB29爆撃機から逃げた話。
認知症が進んで母と叔母の事も分からなくなってしまった話。
祖母とのエピソードで盛り上がるものが何一つ思い出せない僕は聞き役に徹した。笑い声と寂しさに包まれて通夜はお開きとなった。
告別式は快晴に恵まれた。
周囲からはすすり泣く声が聞こえたが、僕はいたって事務的にこなした。
式は滞りなく終わり、火葬場へと移動した。
がっちりとリーゼントで決めた係の方に案内され、火葬炉に棺が納めるの見届けた。
昼食を取りながら久々に会う親戚と近況を語っていると、収骨の時間となった。
当然だが、火葬後に残った骨にもう祖母の面影はなかった。生き物から白と灰になり祖母は旅立ったのだ。
先程のリーゼントさんが骨について説明をはじめた。
「これをみると足が悪かったんですね。肝臓が良くなかったみたいです。腰はお丈夫でした」
一流の考古学者や法医学者みたいな的確な見解に一同感心した。
「優しい子になるんだよ」
祖母にしては温もりのある声でそう言われた気がして目が覚めた。
式も全て滞りなく終わり、二日間の慣れない環境に知らず知らずのうちに疲れていたのか、帰りの電車で眠ってしまっていたようだ。
残念ながら万人に優しくなれる器は僕にはないよ。ごめんね、おばあちゃん。
家からの最寄り駅に着くともらった清め塩を身体に撒いた。
テレビを点けると、芸人の葬儀が報道されていた。
人懐っこくて屈託のない笑顔の写真に、相方の笑いを交えたコメントが添えれている。
「来世でもコンビ組んで、たくさんチューしような」
最後の一文を目にして、葬式の時には一切溢れなかった感情が堰を切り、僕は声を出して泣いた。
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