かべ(もんぜん)

 今日が生まれてはじめての取り調べだった。取調室の中央には銀色の机と椅子が置かれている。僕がその椅子に座って待っていると、先輩刑事の山下さんが容疑者の西田を連れてきてくれた。西田は金髪ピアスでハイビスカスがプリントされた赤いアロハシャツを着ている。いかにも素行の悪そうな風体だが、本当に彼が殺人犯なのだろうか? 
 西田の顔を見たら緊張が増してきた。しっかりしろ。かすかに手が震え始めた自分自身を心の中で叱咤する。

 西田が僕の目の前に座った。目を合わそうとせず、壁に顔を向けている。
「23日の夜、どちらにいらっしゃいましたか?」
 アリバイ確認から取り調べは始まる。僕は少し前のめりになって話を続けた。
「できるだけ詳しくお話いただけると助かります」
 丁寧な口調の方が相手にプレッシャーを与えられる。先輩方からそう教わった。余裕が容疑者の焦りを生む。西田の顔を見つめて、数秒のあいだ反応を待った。口を開く様子がない。黙秘をするつもりなのだろうか? 僕のこういうときの対処法を思い出して実践した。
「黙っていたら、わからないだろ!」
 西田が驚いた顔で僕を見た。丁寧に話していたときのギャップで相手を動揺させる作戦だ。
「なにか言ったら、どうなんだ!」

「ていうかさ……そこの壁、なんで透明なの?」
 ついに西田が口を開いた。
 たしかに取調室の右の壁は透明になっている。でも今は関係ない話だ。もしかして取り調べを混乱させるつもりか。
「関係ない話をするな」
「なんなの? ガラス張りなの? 壁の向こうにいる人たちは誰?」
「こっちを見ろ」
「気になるじゃんよ。しかも向こうの人たち、みんなこっちを見てないじゃん。スマホいじったりしてるじゃん。なんで?」
「……」
「教えてくれたら、真面目に取り調べを受けるからさ、頼むよ」
「……マジックミラーを付け間違えたんだよ」
「え?」
「工事業者が間違えて、マジックミラーを逆に付けたの」
「そうなの?」

 うちの警察署は1年前に改装工事を行った。もともと昔ながらの何の変哲もない取調室だったが、新しもの好きの署長がマジックミラーを取り付けようと言い出した。マジックミラー越しに取り調べの様子を覗いてみんなで推理をする、映画のワンシーンみたいなことがやりたかったらしい。
 他の部屋はきちんと取り付けられたが、工事業者の新人が担当したこの部屋だけ間違えて取り付けられた。

 西田は立ち上がり、マジックミラーに近づいてマジマジと見つめた。
「あっちからは見えていないってことだよな?」
「そうだ」
「声も聞こえてないの?」
「声だけだとストレスがたまるという意見が多くて、聞こえないようにしてある」
「じゃあ、なんで人がいるの?」
「それは……」
「なんで?」
「……今日が生まれてはじめての取り調べだったから」
「え?」
「生まれてはじめての取り調べだったから、記念に母と姉と妹が見に来ていて……」
「ええ? この人たち、刑事さんの家族なの?」

 当日にならないと、どこの取調室が割り当たるかわからないんだよ。こんなはずじゃなかった。

「部屋を変えてもらいなよ」
「無理だよ。おれ、新人だもん」
「じゃあ、今すぐ工事業者呼んで直させろって」
「その業者、倒産しちゃったの」
「だったら、この部屋に家族呼んじゃえよ」
「取調室に刑事の家族がいるの、おかしいだろ。うちの母親、思ったことが声に出ちゃうタイプなんだよ」
「知らねえよ」

 山下さんが眉間にシワを寄せて、こっちを見ている。まずい。ペースを戻さなきゃ。

「あれ? なんか喧嘩してるんじゃない?」

 西田にそう言われてマジックミラーを見ると、母と姉が口論している。向こうの声もこっちには聞こえないので何を言い合いしているのかはわからない。

「俺、読唇術習っていたことあるんだよ。読み解いてやろうか?」

 マジックミラーの向こうでは、掴み合いの喧嘩に発展している。

「だ、か、ら……と、う、さ、ん、に……に、げ、ら、れ、る、ん、だ、よ」
「やめろ。読唇術なんかしなくていい」

 ガシャン!
 大きな音が鳴って、僕と西田は動きを止めた。山下さんがドアをガシャンとやって、部屋を出て行った音だった。

「なんで出て行ったんだ?」
「怒ったんだよ。グズグズな取り調べにしちゃったから」

 僕は頭を抱えてうずくまった。山下さんは”耳を噛んだときのマイクタイソン”というあだ名があるぐらい怖い人だ。きっとすごく怒られる。
「おい。さっきの人、隣の部屋に入ってきたぞ」
 顔をあげると、山下さんが隣の部屋で母と姉に何かを言っているのが見えた。
「何を言っているんだ?」
「か、え、れ……って言っているけど、すごい勢いで言い返されている」

 やりとりをしばらく見ていたが、次第に山下さんは劣勢になってきた。そして山下さんが土下座したところで、見るのをやめた。

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