病院とミニ四駆(もんぜん)

 これまで生きてきたすべての日が今日という未来につながっているけれど、その中でも特別な1日はある。あの日、病院の屋上からミニ四駆が消えなかったら、今の僕はないと思う。

 僕は大学生になるまで、何度も病院のお世話になっていた。珍しい病気にかかることが多く、

 ・右手をやけどして手のひらに皮膚移植したら毛が生えてきた
 ・自転車のノブが顔に刺さって大怪我
 ・膝に血がたまり、その血が腐って高熱がでた
 ・太腿の筋肉の中に骨ができて、歩くだけで激痛

 なんてことがあった。よくお医者さんに「これは珍しいですね」と言われたものだ。

 それに比べると珍しい病気ではないが、小学5年生のころに急性腎炎で入院したことがあった。入院する直前、1週間で10キロ太り、おしっこは血がまじって真っ赤になった。「男にも生理がくるの?」と母に聞いて、困った顔をされた。

 入院当初は寝たきりの日々だった。ご飯もほとんど味がない。最小限のことだけをやって生きていた。それでも学校に馴染めていなかった僕にとって入院生活は天国のようだった。

 もともと病院に来ると元気になるタイプだった。学校では誰からも言われたことがなかったのに、あらゆる看護師さんから「面白いね」と言われた。だから同室で暗そうな顔をしている女の子が不思議だった。こんなに楽しい場所なのにどうして暗いのだろう。

 彼女の名前はもう思い出せない。ただ慢性的な疾患があって入退院を繰り返していると言っていたことは覚えている。そして僕は彼女に元気出してほしくて、いろいろとおどけてみせた。関口宏のマネをしてクイズを出したり、高田純次の踊りを踊ったりした。病院内ならなんでもできた。笑ってくれたような気がする。

 そのうち同年代の男の子も入院してきて仲良くなった。その頃、ミニ四駆という乾電池で走る小さな車が流行っていた。ミニ四駆はパーツを自由に組み合わせて作ることができる。自分仕様の車を考えて作れるのが楽しかった。

 そして僕とその男の子のあいだで、どちらのミニ四駆が早いか勝負しようということになった。それを同室の女の子に見てもらう。女の子にいいところを見せたいという小学5年生なりの格好つけが勝負へと導いた。

 病院の屋上にあがって、僕たちはミニ四駆を走らせた。初夏のほがらかな日だったと思う。太陽が優しく僕らを見てくれているような気がした。
 先に柵に当たった方が勝ちという単純明快なルールだった。僕はファイヤードラゴンという車をぎりぎりまで軽量化し勝負に挑んだ。スタートダッシュに成功し、僕のファイヤードラゴンがリードした。勝った。そう思った瞬間、柵の下の隙間をくぐり抜けてファイヤードラゴンが目の前から消えた。

 3人の時間が止まった。何が起きたのかわからなかった。ゆっくりと柵の方に近づき、下をのぞく。すると仰向けになった亀のように2台のミニ四駆が病院の雨よけの上に落ちていた。なぜか笑いがこみ上げてきた。やがて僕以外も笑い出し、3人で大笑いした。こらえきれず倒れ込んで笑った。世界で一番笑っているんじゃないかと思うぐらい笑った。頭の中でバリバリと何かが裂けるような音がした。

 予想外のことが起きると人間は大笑いすると知った日だった。

 些細な1日である。今思うと、屋上から落ちたミニ四駆が誰かに当たらなくて本当に良かった。もし誰かを怪我させていたら、こんなに何度も思い出すことはなかっただろう。

 思い出すたびに、あの日聞こえたバリバリという音のことを考える。あれは制御できないくらいの感情がこみあげてきた音だと思う。心の壁が少し裂けたのだ。


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