豚トロジー(坂上田村麻呂の従兄弟)

「お前はお前であるか?」
先輩は回転椅子でくるりと振り返りながら聞いてきた。

「変な質問ですね。なんというか、哲学っぽいというか」
「俺は質問をしているんだ。お前はそれに答えるだけでいい。お前はお前であるか?」
「はい、ぼくはぼくだと思ってます。我思う故に我ありと言いますか」
「だよな?これはトートロジーってやつだ。AはAであるという文は、どんなAに対しても成り立つ。合ってるよな?」
「はい。それがどうしたんですか」
「じゃあ、俺のこの企画書を作るって仕事はお前の仕事だ」
「なんでですか、先輩の仕事なのに、嫌ですよ」
「いや、お前に断る権利はない。なぜならこれはトートロジーだからだ!」

先輩はときどき、すっとんきょんな事を言う癖がある。今回もそんな気がしている。

「じゃあ聞くが、豚トロは豚トロであるか?」
「ええ、さっきのトートロジーですよね」
「焼いた豚トロは豚トロであるか?」
「まあ、焼いた豚トロも豚トロであると思いますけど」
「だろ?だから仕事は仕事であるし、俺がお前に託した仕事も仕事である。仕事はちゃんとやらないとなあ」
「いや、仕事と言っても誰の仕事とは言ってません」
「そこなんだよ。だから、お前の仕事でも問題ない」
「それは強引すぎますよ」

この人と真面目に付き合うのは馬鹿らしいとも思うのだが、一応2年先に入社した先輩であり、上司なのだ。しかも無視をすると、後でLINEスタンプを連打してきたという嫌な思い出もある。

「先輩、ただ仕事サボりたいだけなんじゃないですか」
「いいか。俺は忙しいんだ」
「何が忙しいんです?企画書書く以外の仕事って」
「忙しい仕事ったら、忙しい仕事だ」
「言っときますけど、忙しいのはぼくも同じですよ」
「あのな、俺とお前には明確な関係があるんだ」
「はあ」
「お前は俺の部下だ。俺の部下は俺の部下なんだから、仕事を投げても問題はない」
「それはパワハラです」
「いや、パワハラではない。トートロジーだ!」
「先輩…パワハラはパワハラですよ」

ぼくがパワハラを課長に言いますよと脅すと、流石の先輩も課長は怖いようで、渋々と企画書を作り始めた。

「最近さ、俺の息子が中学受験しようとしててな」
「中学受験ですか。いくら小学生の受験って言っても、受験は受験ですから、それに向けての勉強とか大変そうですね」
「そうなんだよ。俺は反対なんだが、妻が受験させたいらしくてな」
「まあ、志高くして、良い中学に入ろうとするのは悪くないとは思いますけどね。クラークもBoys, be ambitious.って言うじゃないですか」
「いや、俺に言わせればBoys, be boys.なんだよ。もっと少年は少年らしく遊んでても良いんじゃないかって」

なるほど、あの先輩でも、息子のことになると真面目に色々と考えているらしい。ぼくもいつか子供ができたら子供の将来にしっかり向き合ってやりたいなと思う。

「ってか、もし仮に受験するとしたら私立ですよね?お金大丈夫なんですか?」
「そうなんだよ。一応その学校は国の指定が入って授業料も入学金も少しは安いらしいんだが、私立は私立だからな」
「どうするんですか、お金」
「そこでな、実はまた宝石を盗もうと思ってるんだが、お前一緒にどうだ?」
「もう嫌ですよ、前回は運良く助かっただけで。しかも窃盗は犯罪行為ですからね?」
「だから、見つからない犯罪は犯罪じゃない」
「いや、犯罪は犯罪ですよ。トートロジーです!」
「なあんてな、冗談だよ。俺だってもうあんな目にはあいたくない」
「先輩はたまに冗談が冗談でないときがありますから…怖いですよ」
「冗談が冗談でない?矛盾だな」

先輩と談笑をしながら仕事をしていると、いつの間にか退社の時間を過ぎていた。

「おい、仕事終わったか?」
「まだ今日までに終わらせてないといけない仕事が、あと少しです」
「仕方ねえな、手伝ってやるよ」
「ええ!あ、ありがとうございます」

先輩はたまに無茶なことを言うけど、なんだかんだぼくに投げつけようとしていた仕事はさっと終わらせているし、ぼくの終わってない仕事まで手伝ってくれている。

ぼくは思う。
先輩は、やっぱり先輩である。
本当に頭が下がるばかりだ。

「じゃあこれ終わったら、一杯飲みに行くかあ」
「良いですね」
「焼き鳥屋とかどうだ?」
「先輩が豚トロとか言ったから豚トロが食べたくなりました」
「いいな、豚トロ。あ、そうだ。俺は息子のために金貯めないといけないから、奢りはしないぞ?」
「えー、上司なのにですか?」
「会社は会社で、プライベートはプライベートだ」
「出ましたね、トートロジー」

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