友を待つ(タカタカコッタ)

 約束通りに来ると言う。友が我が家に来る。約束をしているから当然なのだが、来るのだ。やって来るとなるとなぜだか身構えてしまう。突然訪ねて来るのならなんて事ないのに、約束通りに来るとなるとそわそわして気持ちが揺さぶられる。友が悪い人ならまだしも、良い人でもなければ悪い人でもないのだから、どうしたらいいのか分からない。なぜ友を待つだけなのにこんなにも落ち着かないのだ。

 約束だから訪ねてくるのは当然だが、こんなふうなら思い切って反故にしてしまおうか。仮病を使おう。頭が痛い、腹が下っている。今から電話をすれば間に合うか。いや、友はもう電車に乗って一直線に我が家に向かっているのだ。脇目もふらず、若干の前傾を保ちながら、ただただ、我が家を目指して。こんなに恐ろしいことがあっていいのだろうか。約束通りに我が家に来るのだ。友の頭の中は我が家への道程で溢れかえっている。友の頭の中に描かれた我が家への最短ルート。最短ルート。最短ルート。最短ルート。最短ルートの横溢。つかつかと靴を鳴らしながら、一直線に我が家へ向かって来る。風を切り、鳩を蹴飛ばしながら。私はどうすれば良い。さっきから時計ばかり気にしているではないか。玄関も部屋もそれなりにすっきり片付いているし、コーヒーやお茶請けも用意してある。なんなら、気まずい沈黙の時間が訪れた場合に観るDVDや友の好きな漫画も用意してある。あとは約束の時間まで片肘枕でのんびり待っていればいいだけなはずなのに、全く落ち着けない。テレビは点いているが点いているだけなので、もう消す。消した。すると、どうだ。今度は無音が塊になって覆い被さってくる。鳴ってないはずの音が耳の奥ですぅ〜っと鳴っている。その音の中に薄っすら友の笑い声まで混ざって聞こえるではないか。ああ、友よ。なんのつもりだ。

 友は悪い人ではない。良い人でもない、市井の凡人。電車でたまたま隣り合うくらいの確率で遭遇する凡人。凡人と出会う蓋然性を絵に描いたような凡人。友人代表の凡人。味の違うラーメンを注文し、ひと口ずつ分け合えるような凡人。しかし、なぜ、約束通りに家に来るとなるだけでこんなにも落ち着かないのだ、私は。尿意のせいだろうか。思考を錯乱させる尿意。尿意に支配される人類。末法の定理。やはり引き取ってもらうべきか。こんな状態で友が来たら、なにも喋れなくなってしまう。それは気まずい。友から喋ってくれるだろうか、私の返事はぎこちなくなってしまわないだろうか。妙なタイミングでコーヒーを出してしまいそうだ。よもやコーヒーを差し出す手まで震えはしないだろうか。

 我が家に向かって一直線に、しかも時間通りに来るなんてどういうつもりだ。恐ろしい。狂気の沙汰だ。いったい何を孕んでいるのだ。途中で気が変わって、更に唐突に気が触れて帰ってくれたなら大歓迎だ。それとも、友が途中で帰らなくてはならなくなるような、不意の不幸が起こらないだろうか。そうだ、呪いだ。呪えばいい。よし、電話してやろう。全く何気なく「家の鍵かってきた?」とか「火の元大丈夫?」とか言ってやろう。まさに呪いの言葉だ。ダメだ。やっぱり人を呪うなんて良くない。人を呪ったら倍になって自分自身に返ってきてしまう。それは避けたい。人は祝わなければならない。

 世の人々よ、どこへ向かって一直線に進んでいるのか。西へ東へ、北へ南へ。角を曲がる時は手旗信号の機敏さを以て。そう思うと、車もバスも電車も飛行機も、池の足漕ぎボートでさえ、前進するもの全てが恐ろしい。前進には目的が存在する。目的に向かって一直線に。まっしぐらに。まっしぐら。砂塵を巻き上げながら、まっしぐら。ああ、恐ろしい。カーテンを閉めよう。みんな、カーテンをしめようよ。ママン、これは太陽のせいだよ、ねえ、ママン!つかつかと響く靴の音を抹殺しなければ。靴の音。何百万人の靴の音が地下道で行き場を無くして呪いのように反響し合っているじゃないか。その反響音に混ざっている臭い呼吸。吸った空気を吐き出すという、不毛!友も、息を吸って吐き出しながら、つかつかと一直線に我が家に向かっているのだ。もしかしたら、約束通り到着する為に、小走りをしているかも知れない。しなくていい。小走りなんて。

 どんな顔で我が家に向かっているのだろう。無表情に決まっている。若干の前傾を保ちつつ無表情でつかつかと息を吐き出しながら砂塵を巻き上げ一直線に来るのだ。私も無表情で出迎えるしかない。こうなったらもう無表情で出迎えてやる。出迎えてやるよ。よし。いつでも来い。かかって来い。最上級の無表情で出迎えてやる。心の動揺など微塵も感じさせないくらいのさり気なさをまとって、「ういっす」してやるんだ……。

よし。来なさい。無表情が崩れてしまう前に。

深呼吸。目を閉じて。ペールギュント第一組曲「朝」の平穏をお守りに。


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