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フーズ・ワールド・イズ・ディス?――ヒップホップと現代世界――

第三回 ヒップホップ的都市空間論の諸前提 韻踏み夫

 ブロック・パーティに、グラフィティ、街角でのサイファーやストリート・ダンス、スケートボーディング。なぜこれほどまでにヒップホップと都市は分かちがたく結びついているのだろうか。実際、ラップの歌詞内容をとってみても、様々な都市の姿が歌われてきた。「Window開けhello山手東京/陰陽跨ぐ網の目の迷路/異様さ増す風景装う平静/右左車線日々に問いかけ」(SEEDA「山手通りfeat. 仙人掌」)。「港横浜24時展望/山下の埠頭オレンジの電灯/ベイブリッジは海と平行」(OZROSAURUS「ROLLIN’ 045」)。「ドラム缶ガンガン燃やし暖取る段ボールでマイホーム/「おっちゃん大丈夫?」ってかける毛布/「それ売って酒買うな」って約束」(SHINGO☆西成「ゲットーの歌です(こんなんどうDEATH?)」)。
 現代社会を特徴づけている外部のなさについてはあらためて論じたてる必要もないかに思われる。むしろ言いたいのは、その外部のなさは、われわれに、都市からの抜け出しがたさとして現象するだろう、ということである。BAD HOPのT-PABLOWはかつて歌っていた。「俺を逃がさないよう囲む工場の煙/出口なら知ってるさ包丁で手首」(「Liberty」)。磯部涼『ルポ 川崎』(注1)が見事に描き出しているように、彼らは工場地帯川崎の「ゲットー」から登場したのであった。「工場以外なんにもない/排気ガスで煙たい街/この街みたいにチェインスモーク/このままアポロみたく月へtake off/でもそうはいかないまだ繋がれてるChain/最近見ないと思ったら長いおつとめ」(「Chain Gang」)。Tiji Jojoの素晴らしい詩才は、まず工場の煙とマリファナの煙の隠喩関係を設立する。マリファナから「ハイ」になることという連想を挟み、この街から「take off」する夢を歌うが、いまだ彼らはこの街に「鎖」で繋がれている。この「鎖chain」の形象は三重化されており、まず街の「しがらみ」や「おつとめ」といった隷属状態を指し、次に工場-マリファナの隠喩としての「チェインスモーク」と掛けられており、かつ第三にその隷属状態への抵抗の足場として結ばれている彼らBAD HOPクルーの「鎖」のように固い団結、すなわち曲のタイトルにある「Chain Gang」とも連関させられている。
 guca owlは荒廃した現代の「街」の閉塞を誰よりもうまく歌うことができる。彼にとってもまた、都市の脱出のしがたさこそが問題なのだ。「まるでここはGotham City/壊れかけの街はSleeping/秩序ならもうないの/子供達は星を探すのall day」(「Gotham City」)。guca owlにおいて、都市の現実と対置されるのはその外部としての「夢」であるが、もはやここでは「夢」すらも搾取の対象である。産業道路が走る東大阪の夜に立ち彼は歌う。人生の「highlight」と夜を明るくする車の「ヘッドライト」が交差するその瞬間──「今見てるガラスのhighlight/夜のhighway照らすヘッドライト/煌びやかに照らされたクソみてーな思い出や街」(「highlight」)。
 若き日のAwichにとってもまた、人生の問題とは沖縄の都市環境の外部へと抜け出ることだった。「死ぬほど憧れたフェンスの向こう/大嫌いだったOkinawa is my home」(「Queendom」)。米軍基地のある沖縄で育ち、アフリカン・アメリカンの夫をアトランタの地で亡くした経歴を持つ彼女を準備した土壌として二木信は、コザ暴動時における沖縄民衆と、ブラックパワーに共感を抱いていた黒人兵たちとの連帯の歴史性を指摘し、BLMに連帯しようとするAwichの姿をそこに重ね合わせようとしている(注2)。
 「Nas is a rebel of the street corner」(「Represent」)。ナズはクイーンズのフッドの街のなかで、「前回機動部隊をひっくり返したときのことを回想」し、「ブロックでの銃撃戦」のなか駆け抜ける同胞たちの姿を見て「Time to start the revolution, catch the body, head for Houston」(「N.Y. State of Mind」)と、在りし日の(おそらくはブラックパワー=六八年の!)「革命」の日々を想起して見せる。
 同じくクイーンズを拠点とする伝説的なラップグループMobb Deepの「Survival Of The Fittest」で描かれる危険でハードな都市環境は、今度はこのように表現される。「They never around when the beef cooks in my part of town / It’s similar to Vietnam」。九〇年代のニューヨークのフッドが、今度は「ヴェトナム」と重ね合わされている。ところで、ヒップホップの生みの親であるアフリカ・バンバータが住んでいた「ブロンクス・リヴァー団地」もまた、「リトル・ヴェトナム」と呼ばれていたと言われている。ゲットー=ヴェトナムというアナロジーは、言うまでもなくそれがヴェトナム戦争の戦場ほどに過酷な環境なのだとの主張ではあるが、それだけにとどまらない歴史性を示唆している。なぜなら、六八年当時にブラックパワー運動において共有されていた「国内植民地論」のパースペクティヴからするならば、ゲットーとは、先進国アメリカの中に置かれた第三世界、植民地にほかならないと考えられていたからであり、またそれゆえにこそブラックパワーはヴェトナムや沖縄との連帯が理論的に可能となったのであった。ヒップホップが描く都市/ゲットー/スラムの現代性と系譜学、それがここでの問題である。

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