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小説を語る声は誰のものなのか      ―橋本治「桃尻娘」論  千木良悠子

発売中の「文學界」6月号より千木良悠子さんの批評「小説を語る声は誰のものなのか―橋本治「桃尻娘」論」の冒頭をお届けします。


1、愛は理屈じゃない、なんてことはない

 私の一番好きな小説は「桃尻娘サーガ全6部」(1978―1990年、以下「桃尻娘」)だ。文学の傑作は世界に星の数ほどあるにしても、こればっかりは特別だから仕方ない。中学1年とかそんな時期に出会って以来、約30年も繰り返し読んできた。今もシリーズ6冊のうちのどれかを開いて数行読むだけで脱力して笑ってしまうし、思わぬ箇所で泣けてくる。そんなに好きなのに完全に分かった気はしなくて、まだ理解度は8割程度だと思っている。

 橋本治の小説では一番有名で、思い入れのある読者も多いはずなのに、先行批評の数は少ない。批評家には「女子高生の話し言葉による青春小説だから、深刻に論じるものではない」と思われてきたのかもしれない。代表作は何かという話題になった時、「桃尻娘」が候補に上がることはなく、「初期作品はまだ準備期間で、後期の『巡礼』や『リア家の人々』や『草薙の剣』こそが傑作だ」「いや古典現代語訳にこそ真価が表れている」「橋本治はじつは小説家でなく評論家だ」といった意見が上がるようだ。私はどの小説も評論も好きなのだが、もし橋本治を論じるならデビュー作「桃尻娘」をもっと複雑なものとして掘り下げないと、本来のスタート地点には立てないだろうと考えている。

 私がこれを複雑なものと捉えたのは、リアルタイム世代の熱狂から乗り遅れて1990年代前半に一人で読んだせいだろう。人気の絶頂期だった1980年代には軽い娯楽作品と受け止められたはずだし、偏った先入観すら持たれた可能性がある。「エッチで過激な女子高生レナの青春のヒ・ミ・ツ」というような先入観――イメージと実像のズレは、読者を大きな混乱の渦に巻き込んできたに違いない。

 第1部第1話「桃尻娘」は、1977年に「小説現代新人賞佳作」として発表。その文体と内容は世間に衝撃を与え、映画化ドラマ化され、熱狂的なファンを生んだ。第2部『その後の仁義なき桃尻娘』の文庫本の解説に、糸井重里が、鬱陶しいマニアにならずに『桃尻娘』を面白く読む方法を書いている。『桃尻娘』を読みながら、適当な箇所で「マニアにはたまんねぇだろうなぁ」と呟けば、客観的に読めるからお試しあれ、という前衛的な提案だ。中学生の私は不安になり、カルトな桃尻信者と後ろ指を差されないように隠れて読んだが、そこまで人気があったのは1980年代の一時期のことで、私が10代の頃は、周囲に知っている人自体が少なかった。歳を取って交友範囲が広がると、橋本治好きを公言する人々にも出会えたが、皆どうも「桃尻娘」の話題になると高確率で挙動不審になるようだ。急に暗い青春の打ち明け話を始めたり、「『桃尻娘』は女の子の話に見せかけているが、本当は男の子の話なんだ! 第4部『無花果少年と瓜売小僧』こそがあの小説の核心だ!」と酒も飲んでないのに大声を出してビックリさせられたりするので油断ならない。

 このギャグだらけの不真面目な小説に、信者やマニアを生み出す超常的なパワーが秘められている、なんてことは勿論あるわけなくて、「桃尻娘」ファンが熱狂の向け所を見失ってしまうことがあったのは、ただ単に十分批評されてこなかったためだろう。中間小説誌に掲載されたから、文芸批評の対象にはなりづらかったろうし、橋本治自身も自作が文学か否かという分類に意味を感じていなかった。「桃尻娘」が文学か否かは私にも判断できないが、私はこれを「近代文学と現代文学(あるいは小説)の分水嶺」を考える上で非常に重要で、だからこそ他に類を見ないぶっちぎりのハッピーエンドをなし得た稀有な傑作だと思っているので、今回はそのことを書いていきたい。


 今までに出た数少ない批評を読んだが、これを「当時の若者の声を代弁した小説」で「旧世代への抵抗」と見なした論が多かった。たとえば哲学者の鶴見俊輔が「桃尻娘」に寄せて「絶対派と一応派」(「潮」1988年4月号)という批評を書いている。当時の若者が公の場でも「別に」「一応」といった曖昧な言葉を使うようになったことに興味を示し、「桃尻娘」はそんな「一応派」の話し言葉を操った小説で「若者文化に対する通訳の役を果たしてくれた」と賞賛する。戦争経験世代の知識人で大衆文化の愛好者だった鶴見俊輔が、やっと豊かになった日本に、新たな若者文化やくだけた言葉遣いが生じたことを、多少面食らいながらも好ましく受け止めた様子が伝わってくる。確かに、戦後すぐの経済的に逼迫した社会で、学生が先輩や教師に向かって「一応」とか「別に」なんて言ったら即ブン殴られていたかもしれない。ヘンな言葉遣いをしても怒られない世の中になったのは有難くも劇的な変化だ。また鶴見氏は「桃尻娘」の主人公・榊原玲奈の戦後教育制度批判に、特に感銘を受けたらしい。受験勉強中の主人公・榊原玲奈が現代国語の○×式解答や穴埋め式問題に文句をつけまくる場面に対して、確かにああいう試験問題は、採点する側の効率だけを重視した戦後教育の負の局面なんだと頷き、「高校生のこわいろと紋切型言葉を使って彼自身の現代教育制度批判を演じているのかもしれない」「この本がひろく読まれるからには、現役の高校生の中に、おなじような思想の展開をうながしているのだろう。そう思いたい」と述べる。

 時は流れて約30年後の2019年、斎藤美奈子が「桃尻娘」を再評価している。「もしもこの作品がなかったら、堀田あけみ『1980 アイコ十六歳』も、山田詠美『ぼくは勉強ができない』も、綿矢りさ『インストール』も、舞城王太郎『阿修羅ガール』も、生まれてなかったと私は思うわ。そんで日本文学は頭のかた~いオヤジに独占されててさ、いまごろ死んでたと思う」と「桃尻語」を交えながら批評する(「(桃尻語で語る)『桃尻娘』がいた頃」「文藝別冊 追悼総特集 橋本治」、2019年)。斎藤氏は主人公の榊原玲奈たちが、前半にあった元気さや過激さを後半で失った、という印象を持ったようだ。「あんなに溌剌していた玲奈は、大学で出会った埼玉の土建屋の息子と結婚するとかいいだすし(第五部『無花果少年と桃尻娘』)。/大人になるにしたがって、過激さを失っていく若者たち。そこが青春の残酷なとこなのよ」。

 どちらも「桃尻娘」を好意的に評価していた批評だが、小説の内容やテーマに踏み込むというよりも、作品が人気を博した当時(あるいは現在にかけて)の社会状況に着目しているように思われる。前回「橋本治と日本語の言文一致体」(文學界2022年1月号)という拙論で説明したことと重複するが、シリーズ6冊が出版された1978年から1990年は、橋本治が『浮上せよと活字は言う』で「知性の大衆化」と呼んだ、ある急激な社会変化が起きた時期だった。曰く、戦後経済成長によって日本は豊かになり、若者は映画やマンガといった大衆文化から知性を獲得するようになった。そして言葉こそ権力の根源と考えて、旧来の知識人が固持してきた権威に特別な価値を見出さなくなった。新世代と旧世代の対立構図は今よりも一層顕著だったろう。そんな中、女子高生が社会を徹底的に批判する「桃尻娘」は、良識ある大人の眉を顰めさせ、一部の若者を熱狂させた。まだ1960―70年代の「政治の季節」も遠くなく、東大闘争の渦中に駒場祭のポスターで有名になった橋本治に対抗文化の旗手のイメージを重ねた人もいたに違いない。しかしこの小説は、同時代の若者を応援して、彼らの気持ちを代弁したものだったのだろうか。主人公たちは「大人に反抗する過激で元気な高校生」で、楽しく気の向くままに喋っていたのか。私にはそうとは思えないのだ。

 日本経済が右肩上がりで豊かになった1970―90年代の社会変化は、おそらく相当に激しかった。新世代は旧世代にとって脅威であり、それだけに未来の理想を託され、「桃尻娘」の主人公たちも新たな若者のモデルとして理想化された。でもその後起こったのはバブル崩壊と「失われた30年」だ。日本社会が進んだ方向は理想とは全く違ったし、約10年かかって執筆された「桃尻娘」全6部の展開も、大方のファンの予想とは異なるものだっただろう。私はこの作品の本来のテーマは、豊かさの後の突然の長い不景気を経験した、今の時代に読まれた方が、寧ろ明確になりやすいんじゃないかと思っている。時代が目紛しく過ぎた後も、本作が強い問題意識とともに描き出した社会のあり方は、大して変わっていないように見えるからだ。



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