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エッセイ

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文學界noteに掲載されている、エッセイをまとめました。
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#エッセイ

【書評】市川沙央「異世界転生は殖民論の夢をみる――『大転生時代論』」【全文公開!】

『ハンチバック』で衝撃のデビューを飾る以前は、20年にわたってライトノベルを中心に小説投稿を続けてきた市川沙央が、異世界転生×本格ポスト・ヒューマンSFの島田雅彦の新作『大転生時代』を読む。 ◆◆◆  世はまさに、大転生時代である。  大型トラックに轢かれて異世界に転生し、電車にはねられて異世界に転生し、通り魔に刺殺されて異世界に転生し、頭を打ったり、病気になったり、過労死したり、はたまた特に何もなくても転生してしまう。水洗トイレに流されたのは転生じゃなくて転移ものだっ

【エッセイ】松尾スズキ「家々、家々家々 ~男、松尾スズキ。魂の物件漂流物語~」【新連載第1回】

 とにかくつねになにかにせっつかれ、ずっと軽度か中程度のパニック。そんな精神状態が続いていた。  今、思い起こせば、なかなか明るいパニックではあったけど。  そのパニックの中でわたしは、希望を感じたり、絶望したり、人を疑ったり、次の日に信じすぐまた疑ったり、笑ったり怒ったり、10年分ぐらいの高カロリーの感情が毎日のように噴出し、不安と恐怖と、それでも隠しきれないエンターテイメント感の中で、なんとか喚き散らさず60歳の人間らしくふるまおうと、ひきつった笑顔でおのれを律してい

【エッセイ】吉村萬壱「ガザに思う」

 小学生の時、団地の社宅に住んでいた。私は詰まらない悪さをしては、母からしょっちゅう叩かれたり飯を抜かれたりする子供だった。団地の地下の真っ暗な物置に私を閉じ込め、扉の向こうから「ネズミに齧られるぞ!」と脅すような母だった。太い二の腕と巨大な脹脛を持つ母に太腿や頬を捻り上げられると、痛さの余り絶叫したが誰も助けてはくれず、翌朝同じ棟の小母ちゃんが、登校する私をベランダから哀れむような目で見送っていたりした。小学校時代を通してすっかりぺしゃんこになった自尊感情や自信を少しでも取

【エッセイ】山内マリコ「お前に軽井沢はまだ早い」

 東京の東側に引っ越してきて、今年で九年目になる。地方出身者の多くがそうであるように、それまではずっと西側に住んでいた。サブカルチャーと親和性の高い中央線に憧れ、二十代は吉祥寺と荻窪を渡り歩いた。  ところが三十歳を過ぎてから東側に惹かれるようになり、お試しのつもりで引っ越してみると、妙に居心地がいい。人口が少なく摩擦熱が低い。道のうねりや坂の勾配に、江戸や明治の匂いを感じる。越してすぐ、八百屋のにいちゃんと顔見知りになった。彼に「こんちわ」とがさつに挨拶するとき、わたしは

【エッセイ】山尾悠子「夢の扉が開くとき」

 マルセル・シュオッブについて思うことをまとめて上手く言うことは難しい。新しい読者がシュオッブを知りたければ、二〇一五年に国書刊行会から浩瀚な一巻本として発刊された『マルセル・シュオッブ全集』があるし、そしてこの度は、追補の如くに『夢の扉 マルセル・シュオッブ名作名訳集』なる一冊が同版元より出た。昔からシュオッブ作品のあれこれに関しては名だたる文学者たちによる多種の翻訳が存在するため、この『夢の扉』は、全集に収録できなかった異訳の数々の精華集ということになる。本家全集では大濱

【特別エッセイ】九段理江「九段理江」

 第一七〇回芥川龍之介賞受賞会見での「五%AI使用発言」が世間を騒がせた九段理江。人工知能を用いて執筆された小説が権威ある文学賞の栄誉に選ばれたというこのニュースは、瞬く間に各国へと拡がり衝撃を与えた。  会見から一週間が経過した今日(二〇二四年一月二十五日)の時点で、少なくとも英語、フランス語、イタリア語の三言語のWikipediaに「Rie Kudan」のページが作成されている事実を筆者は確認したが、未だ外国語への翻訳作品が一件も存在しないアジア圏の作家としては、異例の

【論考】柿内正午「エッセイという演技」

 二〇一八年一一月から毎日の日記をインターネット上に公開している。この日記を紙に印刷して、現在に至るまでに商業で一冊、自主制作で三冊発表までしている。僕はひとまず日記を公開し、販売さえする個人である。そのくせ僕は近年の日記ひいては随筆まわりの読書熱に対してどこか懐疑的である。読み手としての日記への不信と、書き手としての日記の使用。この一見矛盾するような事態をへっちゃらな顔で放置できてしまっているのはなぜだろうか。個人的な理路を解きほぐしていくなかで、エッセイという茫漠とした文

【特別エッセイ】市川沙央「前世の記憶」

 予言癖がある。  最初のそれは五歳の時だ。風邪をこじらせて寝込んだ姉を前にして、何気なく私は言った。 「早く入院させないと、お姉ちゃま死んじゃうよ」  翌日、病院に連れていく車の中で、姉は心肺停止に陥った。  予言癖があるのだ。  直近のそれは二〇二二年の八月である。個人的事件すら生起しない単調な日常生活の無限ループをくりかえす空間つまりエアコンの効いた自宅の居間で「何か面白いことない?」と飽きもせず訊いてくるのが日課の母に、三時のお茶を飲みながら私は言った。