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エッセイ

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文學界noteに掲載されている、エッセイをまとめました。
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記事一覧

【書評】市川沙央「異世界転生は殖民論の夢をみる――『大転生時代論』」【全文公開!】

『ハンチバック』で衝撃のデビューを飾る以前は、20年にわたってライトノベルを中心に小説投稿を続けてきた市川沙央が、異世界転生×本格ポスト・ヒューマンSFの島田雅彦の新作『大転生時代』を読む。 ◆◆◆  世はまさに、大転生時代である。  大型トラックに轢かれて異世界に転生し、電車にはねられて異世界に転生し、通り魔に刺殺されて異世界に転生し、頭を打ったり、病気になったり、過労死したり、はたまた特に何もなくても転生してしまう。水洗トイレに流されたのは転生じゃなくて転移ものだっ

【エッセイ】古田徹也「トイレ文庫のなかの『富士日記』」

 とらえようによっては汚い話なので恐縮だが、私はトイレで本を読むのがわりと好きだ。静かな空間で、誰にも邪魔されずに集中できるという意味では、トイレは本を読むのに最適な場所のひとつだと言えるだろう。  あくまでも自分自身にとってそうであるに過ぎないが、ことの性質上、その「トイレ文庫」の常連となる本には、おおよそ次のような条件があるように思う。  その1)大判の本は駄目。狭いトイレのなかでは邪魔だし、手が疲れる。  その2)長編や中編の物語も厳しい。面白かったらトイレから出

【エッセイ】松尾スズキ「家々、家々家々 ~男、松尾スズキ。魂の物件漂流物語~」【新連載第1回】

 とにかくつねになにかにせっつかれ、ずっと軽度か中程度のパニック。そんな精神状態が続いていた。  今、思い起こせば、なかなか明るいパニックではあったけど。  そのパニックの中でわたしは、希望を感じたり、絶望したり、人を疑ったり、次の日に信じすぐまた疑ったり、笑ったり怒ったり、10年分ぐらいの高カロリーの感情が毎日のように噴出し、不安と恐怖と、それでも隠しきれないエンターテイメント感の中で、なんとか喚き散らさず60歳の人間らしくふるまおうと、ひきつった笑顔でおのれを律してい

【エッセイ】吉村萬壱「ガザに思う」

 小学生の時、団地の社宅に住んでいた。私は詰まらない悪さをしては、母からしょっちゅう叩かれたり飯を抜かれたりする子供だった。団地の地下の真っ暗な物置に私を閉じ込め、扉の向こうから「ネズミに齧られるぞ!」と脅すような母だった。太い二の腕と巨大な脹脛を持つ母に太腿や頬を捻り上げられると、痛さの余り絶叫したが誰も助けてはくれず、翌朝同じ棟の小母ちゃんが、登校する私をベランダから哀れむような目で見送っていたりした。小学校時代を通してすっかりぺしゃんこになった自尊感情や自信を少しでも取

【エッセイ】ロバート キャンベル「戦争を言葉で記録する人々のこと」

 ロシア軍が東・南・北の三方向からウクライナに攻め入ってから二年が経ち、先月で三年目に入った。二〇二二年二月二四日の朝、戦車部隊の車列がウクライナ北東部の国境を越え、隣接するスーミ州のオフティルカという街を制圧しようとするが策戦は成功せず、翌日にロケットランチャーから街をめがけミサイルを降らせた。英紙The Independentによるとクラスター爆弾が使われたと見られ、その爆弾が落ちた保育・幼稚園では子どもは一人、大人二人が犠牲になったという(二月二八日配信)。直後にアムネ

【書評・倉本さおり】三木三奈『アイスネルワイゼン』――明滅する現実の死角

 どんなに十全に描かれているように見えても、小説を通じて提示される視界には限りがある。達者な書き手ほど読者にその不自由を感じさせずに作中の世界を同期させる仕事をやってのけているわけだが、そこに意図的に遮蔽物が持ちこまれている場合はまた別の問題がたちあがる。そうやって覆いがかけられることではじめて輪郭を得るものを通じ、読者自身がおのれの視界の欠けや偏りを検めていく必要があるからだ。  本書の表題は作中でも触れられているとおり、サラサーテの名曲「ツィゴイネルワイゼン」(「ロマの

【エッセイ】津野青嵐「ファット」な身体【新連載第1回】

「最近、太りの方はどうなの?」  祖母は時々、私の体型を見て心配そうに聞いてくる。その度にちょっとだけ腹が立つ。 「変わらないよ。ばあびもでしょ。」  ばあびというのは、私の祖母の呼び名だ。私はかなり太っているが、彼女もまたかなり太っている。50近く歳の差があるのに、周りから見たら私たちの身体の形はそっくりらしい。 「青嵐も私と同じ、渇きの病いなのかしら。困ったものね。」  時々こんなやり取りをしてお互いを少し心配し合うが、長続きしない。すぐにこれから何を食べようか

【エッセイ】山内マリコ「お前に軽井沢はまだ早い」

 東京の東側に引っ越してきて、今年で九年目になる。地方出身者の多くがそうであるように、それまではずっと西側に住んでいた。サブカルチャーと親和性の高い中央線に憧れ、二十代は吉祥寺と荻窪を渡り歩いた。  ところが三十歳を過ぎてから東側に惹かれるようになり、お試しのつもりで引っ越してみると、妙に居心地がいい。人口が少なく摩擦熱が低い。道のうねりや坂の勾配に、江戸や明治の匂いを感じる。越してすぐ、八百屋のにいちゃんと顔見知りになった。彼に「こんちわ」とがさつに挨拶するとき、わたしは

【エッセイ】山尾悠子「夢の扉が開くとき」

 マルセル・シュオッブについて思うことをまとめて上手く言うことは難しい。新しい読者がシュオッブを知りたければ、二〇一五年に国書刊行会から浩瀚な一巻本として発刊された『マルセル・シュオッブ全集』があるし、そしてこの度は、追補の如くに『夢の扉 マルセル・シュオッブ名作名訳集』なる一冊が同版元より出た。昔からシュオッブ作品のあれこれに関しては名だたる文学者たちによる多種の翻訳が存在するため、この『夢の扉』は、全集に収録できなかった異訳の数々の精華集ということになる。本家全集では大濱

【批評】江南亜美子「『わたし』はひとつのポータル」【新連載・第1回】

 地中海をはさんだヨーロッパ・ユーラシア大陸とアフリカ大陸の一帯には、みっつの大きな渡り鳥のルートがある。なかでも地形や気候の変化に富み、北部に湖と湿地帯が広がるイスラエルは、渡り鳥の大回廊と呼ばれるほど、さまざまな野鳥が飛来する世界有数の中継地となっている。その数、年間五億羽。バードウォッチングはひとつの観光資源であり、毎年三月と一〇月には世界中の愛鳥家を魅了するいくつものツアーが催行されてきた。いっぽうで、困った問題もおきる。いわば鳥と人間との制空権争いだ。  イスラエ

【特別エッセイ】九段理江「九段理江」

 第一七〇回芥川龍之介賞受賞会見での「五%AI使用発言」が世間を騒がせた九段理江。人工知能を用いて執筆された小説が権威ある文学賞の栄誉に選ばれたというこのニュースは、瞬く間に各国へと拡がり衝撃を与えた。  会見から一週間が経過した今日(二〇二四年一月二十五日)の時点で、少なくとも英語、フランス語、イタリア語の三言語のWikipediaに「Rie Kudan」のページが作成されている事実を筆者は確認したが、未だ外国語への翻訳作品が一件も存在しないアジア圏の作家としては、異例の

【批評】矢野利裕「近代社会でウケること――包摂と逸脱のあいだ」

現代のリベラル傾向  10年まえに笑えていたことがもう笑えなくなっている。いや、10年まえどころではない。ほんの数年まえに楽しんでいたはずのテレビやラジオの番組でさえ、久しぶりに観/聴きなおしたら、その不用意な発言や振る舞いに気持ちがざわついてしまう。ましてや、YouTubeで昭和のヴァラエティ番組なんか観たら、ジェンダーや人種といった問題に対してあまりに配慮のないことに驚いてしまう。ここ1〜2年、多くの人が少なからずそのような経験をしているだろう。  人権意識やハラスメ

【論考】真山仁「秘すれば花――玉三郎の言葉」

 二〇二三年六月一一日――。  その日、私は京都にいた。気温は東京より低いのだが、ひどく蒸し暑く、首筋からふき出る汗が止まらない。  学生時代を京都で過ごした私は、その不快さを懐かしく感じたものの、年を重ねた体には、苦行でもあった。  コロナ禍が落ち着き、京都のまちにも人が溢れている。  鴨川には川床が並び、京都は、夏本番の準備を整えつつある。  暫し木陰で休み、汗の引いたところで、京都南座に向かう。  歌舞伎発祥の地に建つこの殿堂で、『星降る夜に出掛けよう』のゲ

【論考】四方田犬彦「零落の賦」

  よしや   うらぶれて異土の乞食となるとても                犀星 1  一九七〇年代も半ばを過ぎたころのことだった。学位論文を執筆するため映画にも芝居にも出かけず、髪も髭も伸ばしっぱなしで、昼も夜も部屋に閉じこもり、案前に積み上げた英語の書物を相手に唸っていた時分のことである。  もうすぐロンドンに行くからちょっと出てこないと、元同級生の女性がわたしを誘った。親には一週間で帰るっていってあるのだけど、本当のことをいうと、もう二度と帰るつもりはないのよ