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ここからもっと良くなる(6月27日〜7月3日)

6月27日(月)晴れ

今日は、尊敬する長谷川さんについて書きたい。長谷川さんは、近所の車修理屋さんを営むお兄さんである。

先週のある日、大寝坊した私は慌てるあまり、会社の柱に愛車のフロントをこすってしまった。車でトラブルが起きたら、長谷川さんに相談だ!長谷川さんに傷ついた車の写真とともにLINEをすると、長谷川さんは「明日以降いつでも来てください」と言ってくれた。そして仕事終わり、「めんどうくさいなぁ」「修理いくらかかるかなぁ」と思いながら長谷川さんを訪ねてきたのが、今夜である。

不思議なのが、長谷川さんの修理屋さんに足を踏み入れた途端、そんなネガティブな感情はかなり0に近いほど消えているのだ。車の修理をしている長谷川さんがニカニカ楽しそうで、こちら側にまで伝播する。長谷川さんは、いつも通り「コーヒー飲みますか」と言って、とびっきりバランスの整ったアイスコーヒーを淹れてくれた。アイスコーヒーを味わいながら本を読んでいると、ものの30分で傷をぴかぴかに直し、指の圧力で必死に凹みを直そうとしてくれ(機械で直すとうん十万円かかるからと言って)、最後は「凹みを治せなかったから割引で」と、破格の値段で対応をしてくれた。

興奮のあまり、こんな修理屋さんある?と速攻恋人にLINEを送る(恋人も長谷川さんの常連客である)。すると彼は「俺、長谷川さんのところに行くと感動しちゃうんだよね」と言った。うん、私もおんなじ、と思う。

なぜだろう、と考えてみる。どうして「車を修理してもらう」、たったそのことだけで毎度感動してしまうのだろうと。それはたぶん、長谷川さんほどまっすぐに、純度100%で仕事をしている人に出会ったことがないからだ。

長谷川さんは、車を修理しているというより、“車をいじっている”ように見える。仕事は早いし腕は確かだけれど、車好きの無邪気な少年がそのまま大人になったみたいに、楽しそうなのだ。

もちろん、私と長谷川さんはお客さんとお店の人の関係だから、長谷川さんの苦労は見えないし、ただ私が知らないだけかもしれない。でも、長谷川さんに車を直してもらうたび、私は長谷川さんの仕事ぶりに感動し、とても気持ちよくお金を払う。長谷川さんを見ていると、「こんな仕事人生を歩めたら」と思わずにはいられないのだ。

6月28日(火)晴れ

今日は岡山駅近くで仕事が終わったので、軽く一杯、と居酒屋へ立ち寄った。仕事ぶりに一人で飲んで帰るなんて、どれだけ久しぶりのことだろう。
すっかり一人が苦手になった私は、一瞬誰かを誘おうかとも思ったけれど、今日は一人になりたかった。

仕事終わりの生ビールは格別。二杯目の山葵焼酎も、アジの漬けも、鯛と大葉の天ぷらも、心からおいしかった。ひとりで満たされたとき、多幸感と一緒に凄まじい孤独感に襲われるあれ、何なんだろう?おいしい料理も絶景も、独り占めした途端に虚しくなる。岡山に来てから、もしかしたら今が一番さみしいかも?なんてことを思ったりしてしまう。大好きな人たちと一緒に居続けるためには、私も変わらないといけない。お酒と苦悩が混ざり合って、すぐに酔っぱらった。

帰るや否や、1ヶ月ほど連絡をとっていないおばの声が聞きたくなって、電話をした。何があったわけでもないけど、ふと声が聞きたくなる人。私にとって、それは秋田に住むおばである。

電話で子育ての話になった時、結婚もせず子供も持たず自由を謳歌し続けるおばが(私はそんなおばの生き方に小さい頃から憧れていた)、「子供は絶対にいた方がいい」と言い切ったとき、心底驚いた。「私はあんた達が実の子供みたいに可愛いから寂しくないけど」と補足してくれたけど、本当はどうなんだろう。私はまだまだ、おばの人生を知らない。いつかおばの若い頃について、話してもらえる日が来るといいな。近いうちに。

何かを察したのか「好きにするがいい。幸せでいてくれたら、なんでもいいよ」と言ってくれ、ここ最近の胸のつかえが取れるかのように、スッと心が軽くなった。親子でも友達でもない、「おばと姪」という距離感が私にとってはすごく心地いい。おばと話すたび、「あぁ、連絡してよかった」と思うのだ。

6月29日(水)晴れ

恋人とのコミュニケーションで気をつけていることがある。「普通は」と言わないこと。彼が普通だから好きになったわけではないし、私が「普通は」を使いたくなる時は、大抵「大多数は」という方が適切だからだ。

「普通は」という一般論にハマるよりも、言葉を尽くして、行動で安心をくれる目の前にいる彼の方がよっぽど信頼に足る。そう思えた。

6月30日(木)猛暑

今日は珍しく21時ごろまで仕事。山場である。恋人が海に携帯を落としたらしいとの連絡を受け、彼の身に何もなくて本当によかった、とひたすら思った。

7月1日(金)猛暑

今日は仕事終わり、怒涛の一週間を乗り切ったご褒美に、ランニングへと出かけた。ランニングを「ご褒美」と思う感覚が、わかってきたぞ、、、!特に、今日みたいに空が綺麗な日は。本気で「おつかれ」と労われているんじゃないかと思い込めるくらいに、私は都合のいい女である。

この頃、現状に不満が溜まり決していい状態とは言えなかったので、およそ1年半前に自分しか見ないノートに書いた「やりたいこと100」を見返したら驚愕した。

「時に彼氏に『おかえり』と言って出迎えられたい」「彼氏と毎晩晩酌したい」「ちゃんと人を好きになって、その人に好かれたい」「ディズニーシーデートがしたい」←中学生か、、、!!!

「大きな本棚がある家に住みたい」「同期と岡山でバカ笑いしたい」「瀬戸内のブランドに貢献したい」←おおお、この辺は叶っている!

「ウエストきゅっとおしりぷりっとしたい」「毎朝おいしいコーヒーで目覚めたい」「バック駐車が上手にできるようになりたい」←惜しい!

とにかく、自分の望みのちいささにドン引きし(強欲であると自覚しているところもある分)、こりゃあいかんと思い、2022年夏、今現在の望みとちゃんと向き合ってみることにした。

7月2日(土)猛暑

今日はお昼前に起きて、岡山駅の方へ向かう。奉還町にあるオンサヤコーヒーへ。ここのカフェは、アメリカンでジャジーな雰囲気に一目惚れした。ずいぶんと久しぶりだったけれど、やっぱり落ち着く、だいすきな場所。

落ち着くカフェで、昨晩宣言した最新の欲望をちょっと欲強めに書き出してみる。大袈裟かもしれないけれど、欲と向き合うと生きる活力みたいなものが湧いてくる。欲があるって、いいこと!その後は読み途中の『急に具合が悪くなる』を読み、至福の時間。肩肘張らない喫茶店で、一人過ごす時間は私にとって欠かせないものである。

夜は女友達と岡山の街を楽しんだ。めちゃめちゃに、楽しかった!!!

ほろ酔い気分で帰宅すると、まもなく恋人も仕事から帰ってきて、ついに『グランメゾン東京』の最終話を観た。本っっっ当に、すんごいドラマだった。こんなにドラマに熱狂したのは、『愛の不時着』ぶりだろう。よく、いいコンテンツは登場人物が皆揃って魅力的というけれど、私は特にそういう風に作られた物語に惹かれやすい。一話ごとに、それぞれの人物にフォーカスし、それぞれの視点から一つのレストランが描かれている分、全員の苦悩と想いが折り重なって、えらく感動してしまう。あとは、やっぱりキムタクは最高で最強。こんな演技ができるの、彼しかいない。唯一無二すぎる。

7月3日(日)晴れのち曇り

日曜日は、比較的自分と家のメンテナンスに充てることが多く、今日は朝から掃除機をかけ、インテリアショップを梯子し、ガラスがきれいな小瓶を買った。そこら辺に生えてるお花をちょこんと飾るための。

早々に帰宅し、クーラーをガンガンにかけながら映画『パームスプリングス』を観た。いまいちだった。

ベッドで寝転がりながら、『急に具合が悪くなる』を読了。身体から振り絞って生まれた、生きた言葉たちに圧倒された。「なんで私なの?」と言いたくなるような理不尽な出来事に対して、どう向き合うのか。誰かが作った物語に迎合せず、自分で意味を紡ぎ出すことが、不運であっても不幸にはならないために、とても大切。

「あること」も「ないこと」もありえた「にもかかわらず」、今、現実として起きていることの奇跡に心が震えた。もう一度読みたいくらいまだまだ理解したいし、偶然性について研究し続けた宮野さんの著書をもっと読みたい。

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