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ただの生活にこそ(2月28日〜3月6日)

2月28日(月)晴れ

朝から何となく体がだる重く、さらには気圧の乱高下で夕方過ぎから激しい頭痛に襲われた。

こんな日に限って、仕事終わりに本業以外の打ち合わせが入っている。しかし打ち合わせが始まるやいなや、痛みのことなんて忘れていた。具合が悪いときこそ働いた方がいいことも、稀にある。

やっぱり言葉のお仕事は楽しい。誠実な人と作り上げるのならば尚更。「なんだかんだ、私は働くことが大好きだ」と思えた時間で幸せだった。「働くことが大好き」は常々思うことではなく(月曜日の朝は大きらいだし、私はランチや飲みの場で仕事の話をするのがあまり好きじゃない)、瞬間的に、そして頻繁に感じる大切な気持ちだ。

打ち合わせが終わった後は、先週分の日記を更新して寝ようとしていたところ、昨日から加筆修正した部分が全て消えてしまっていて、崖から落とされたような気分だった。眠気はすでに限界。しかしここで更新を止めたら間違いなく今日の自分を呪うだろう。かるい暴言をブツブツと吐きながら、2時半過ぎにやっとの思いで更新を終えた。

少なくたって、読んでくれている人の顔がひとりふたりと浮かぶから、どうにか続けられている。今日も読んでくれているどこかに居るお友達、ありがとうございます。

3月1日(火)雨

岡山は本当に晴れの日が多いから、起きた時に雨の音が聴こえるとキュンとする。

休みの彼はひとり映画に出かけ、帰りが20時頃になるという。彼が休みの日はご飯を準備してくれることが多いけれど、今夜は珍しく私が晩ご飯を準備することになった(我ながら、なんて恵まれた身分だ。恋人様様である)。お昼休憩に、慌ててdマガジンの『レタスクラブ』でレシピを探す。表紙タイトルは「料理の手間をとことん省く!」。ちなみに『オレンジページ』は「焼くだけ、煮るだけ、シンプル料理」だった。

世の女性はみんな忙しいのねぇと思いながら見つけた”ハッシュドポーク”のレシピは驚くほどに簡単だった。玉ねぎを切って、フライパンに豚肉と入れて、トマト缶とめんつゆをドボンするだけ。それでも食欲そそる系の味付けで、十分な晩ご飯だった。

彼と「おいしいね」と言い合いながら、これは手抜きじゃないよ、ご飯をかきこめるおかずならば上出来じゃないか、と自分にOKを出したくなった。

3月2日(水)晴れ

ブランドを少人数で動かしていると、ちょこちょこっとした話し合いが多く、夕方になった時に「え、全然自分のタスク終わってない!」という状況に陥りがちだ。限られた時間で、ギュッと心を込めて書けるようになりたい。

夜は1ヶ月限定でDisney+に加入して、ずっと観たかったディズニー映画『ソウルフルワールド』を観た。ネタバレにならない程度に概要をまとめると、ジャズピアニストを夢見ていた主人公のジョーは、夢が叶う直前にマンホールに落下してしまう。そこで、「本当に豊かな人生とは何だろう」と思い直す。

「いい映画」という感想が似合う映画だった。斬新で、とっても不思議な世界観の中で、メッセージは極めて普遍的。ラストは、ごくごく当たり前の生活の美しさに、つい涙してしまった(光の描き方が素晴らしかった)。そして思った、「私は21才の時にマンホールに落ちたのかもしれない」と。

1年半ほど前に、年上の女友達とnoteで交わしていた往復書簡で、こんなことを書いていた。

とにかく「ときめく瞬間を集めたら人生でした」みたいな人生を送りたい。ときめく対象は、話が楽しい男の人はもちろん、颯爽に前をゆく美人な女性だったり(にやっ)、アート、自然、おいしいご飯、物語、音楽、ファッション・・・何でもありで、お一人様で”人以外”のものに胸キュンし仲良くする時間も人生においてすごく重要。一方で、やっぱり人と根気強く関わっていくことでしか得られない幸せも絶対にあって、そっちで得られる幸福はめんどうくさい分、かなり強烈だ、と思ったりしている。

そこまで一人を愛していたの…?とほんの少し昔の自分に驚いた。こんなにも人と深く関わることを億劫に感じていたなんて。

話を戻すと、「『ときめく瞬間を集めたら人生でした』みたいな人生を送りたい」なんてことを言うようになったのは、確実に21才を過ぎてからだということ。それまでの私は、もっとわかりやすい“成功”を欲しがっていた。「留学しなかったら意味がない」「マスコミに入社できなかったら意味がない」…大袈裟かもしれないけれど、そんな呪縛にかかっていたのだ。

そんな矢先、就活真っ最中のときに母を見送り、約1年後の入社1週間前に父を見送り、同時に兄は結婚して新たな家族を持った。私は新橋の会社に通うため、東京で一人暮らしを始めた。私は未だかつてないほどに、“自由”だった。

その1年ちょっとの間に味わった経験と感情は、記憶すらほとんどないものの、まさに頭をガツンと地表に強く叩きつけられるように、私の人生観を大きく変えた。

不満ばかりを垂れていた“ただの生活”の中に、どれほどのいろどりがあったのか。喜怒哀楽の詰まった家族との時間が、どれほど尊く、幸福なものだったのか。結局最後に残るのは思い出だけだ、ということもわかった。

「もっと早く気付けていたらなぁ」そう願ったって父と母にしてあげられることはないけれど、もし未来に子供を育てることがあったなら、この大人向けのアニメーションを少し早めにみせてみようかな、と思う。

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3月3日(木)晴れ

Abema TVの『30までにとうるさくて』が終わった。興奮のあまり、夜中の1時頃に帰宅した彼も巻き込んで、あらすじを話しながら最終回の振り返りをしてしまった(本当にいい迷惑だと思う…)。

このドラマは、とにかく女優さんが皆々魅力的だった。主人公の4人を始め、菊池亜希子さんも中田クルミさんも大ハマリ役だった!最近、俳優には誰一人としてときめかないのに、素敵だなと惚れ惚れする女優さんはうんといる。「小栗旬と結婚する」「松坂桃李が出てる作品は全部観る」と豪語していた私はどこへ行ってしまったのだろう…。

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3月4日(金)晴れ

職場は愉快で仕事は順調。夜は親友と久しぶりにビデオ通話をし、彼の帰りも早かった。平日とは思えないほど、ゆったりとした夜が過ごせた。

何事もなく、総じていい一日。(365日こんな一文で済ませられる日がいいし、そうなった時、日記を書くことをやめるのかもしれない)。

3月5日(土)晴れ

今日は隣町に住む女友達とランチ。今日も彼女は美しい。彼女は大学も学部学科も一緒だったのに学生時代は一言も話すことなく、岡山に来てからSNSを通じて、二人で出かけるようになった。センスが良くて正直者の彼女との会話は楽しい。

この頃出会したモヤモヤの正体は、「私、選択肢を狭めたいかもしれない」ということだ。これまでは選択肢を狭めないように細心の注意を払い、自由を!と叫んで(はいないか)きた。どこへでも行けて、誰とでも居られるように。でも大切なものを見誤らないために、「前提」を作ってしまいたい。そんな明瞭度の低い、でも確かに存在する気持ちに気づき始めている。

3月6日(日)花粉襲来

花粉が来た。本物の花粉が。私は小さい頃から重度の花粉症のため、2月頭くらいから毎晩欠かさずアレジオンを飲んでいた。「あれ?今年は大丈夫かも」と希望を抱いたのも束の間、あいつらがまだ来ていなかっただけなのだ。

鼻はまるで壊れた蛇口のようにサラサラとした鼻水を垂れ流す。必死に堪えたくしゃみも一度してしまえば後戻りはできない、この時を待ってました!とばかりにウェックショイと畳み掛け、呼吸のリズムを乱す。

体調が悪いと、ひとは余裕をなくす。よって今日の私はまるで余裕がない。好きな人や友人の嫌なところばかりが目につき、窮屈な心の持ち主だ。何も生み出せないし、未来に明るい希望も持てない。

明日からの生活を少しでも楽にできないかと、ドラッグストアでしっとりしたティッシュと花粉をバリアするスプレー、花粉症対策に効くと言われているヨーグルトやカカオ含有量の高いチョコレートなどを買って帰る。スイカやメロン、トマトは花粉症の症状を悪化させる食べ物らしいけど、私は子供の頃これらが大の苦手だった。なるほど体は素直である。

※花粉症にいい・悪い食べ物については、「ココカラファイン」さんの記事を読みました。文字に起こすと、愉快な店名ですね。

「春のない国に行きたい。」春は、なにか楽しいことが始まりそうで、何度経験したって胸が高まる季節。それでもこんなことを心の底から願ってしまうほど、今日の花粉はつらいものだった。花粉への恨みをこれほどまでに綴る日は、今日が最後となりますように。

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