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現実は怖いし、怖くない(3月7日〜3月13日)


3月7日(月)晴れ

今朝は、出発予定時刻10分前に起きた彼がコーヒーを淹れてくれた(5分で身だしなみを整え、残りの5分はコーヒーを淹れる時間に充ててくれたということだ)。昨晩、鼻をぐじゅぐじゅさせながら寝言のように話した「どうやら花粉にはコーヒーが効くらしい!」という言葉を信じてのことだった。するとどうだっかというと、なんと今日はくしゃみひとつしなかった。コーヒーが効いたのか、彼の心遣いが効いたのか…。

親友からの突然のLINEも、朝から活力をくれた。彼女の言葉は本物だ、といつも思う。私も彼女のように真心の込もった言葉を扱えるようになりたい。ふたりのお母さんになった彼女の顔を、はやく見たい。

この日記では、なるべく正直な気持ちをそのまま書きたいと思っている。でも一方で、「言葉にしたら現実となってしまいそうで怖いこと」は書かないようにしている。「事実というものは存在しない、存在するのは解釈だけである」と説いたのはニーチェだけれど、ことだまは確かにあるはずだ。

言葉になにかが宿るなら、私はなるべく自分を幸せな方へと運ぶ言葉を使いたい。

3月8日(火)晴れ

今日こそは副業の仕事を進めるぞという固い決心のもと、仕事終わりにスターバックスに寄った。倉敷のスタバは、夜7時台からドライブスルーの列が絶え間なく続くことに驚いた。

海外ですら見つけると安心してしまう、見慣れたグリーンのスタバマーク。それでも今は浅草雷門近くの、ミッドタウン日比谷の、働く大人たちがみんな揃ってMacを開いているようなスタバが恋しい(私はWindowsしか持ったことがないけれど)。

「何があっても21時までは考えよう」と取り組み、気づいたら21時13分だった。よしよし。不思議と疲労感はなく、まだ家に帰る気になれない。皆が平気で100kmを出すような国道で、30分ほど車を走らせた。

この頃、気持ちが現実に負けそうだ。「二者択一でなく」と散々言い聞かせたはずなのに、極端な考えしかできず、視野が狭くなっている。小さな事象の積み重ねで、ふと、幸せになる自信がゼロになる夜がある。

3月9日(水)晴れ

どこまでも続く分厚い雲みたいに重くのしかかった不安は、「今夜は台湾まぜそばでどうかな?」という彼の一言で晴れ間を見た。二人で過ごす時間があれば、こんなにも今の生活を信じられるのに。

こりゃあ、私自身の問題を早いところどうにかしないといけないと思う。

3月10日(木)晴れ

今日は付き合った日ぶりの映画デート。終映滑り込みで『CODA あいのうた』を観た。レイトショーは、どこか背徳感の混じった興奮がある。子供だけじゃダメよっていうのも、大人のための贅沢な時間という感じがする。

映画はというと、体内にこんなに水分を蓄えていたのかと思うほど泣いた。音楽がすばらしくて、伸びるような声が心地よくて。映画館まで観にきた自分を褒めたくなった。

観ながら、「どうしてこの映画は私をここまで泣かせるのだろう」とずっと考えていた。きっと、「気持ちが現実に負けそうだ」という今の心境が重なり(状況も度合いも全く違うけれど)、厳しすぎる現実を愛と勇気とユーモアで生き抜く主人公・ルビーの生き様に胸打たれたのだと思う(観たのはアンパンマンの映画ではない)。

辛い現実を生き抜くための一番のライフハックは、「家族なかよく」なのかもしれない。最も身近な居場所が、愉快であること。ルビーの家族は、ルビー以外全員耳が聞こえない。それでも両親は恋人同士のように愛し合い、粋なジョークも欠かさない。的を得た表現が見つからないけれど、ルビーの家族には、「本物の豊かさ」のようなものを見た気がした。

家に着くと、映画がトリガーとなったのか、この頃の情緒不安定が露わになり、漠然とした「不安」を吐き出してしまった。整理できていない気持ちをゆっくりと「うん、うん」と頷いてくれる彼は、きっととても聞き上手なのだと思う。聞いてもらうだけで、不思議と心は軽くなる。

きれいに整える前の気持ちを伝えることは、すごく勇気がいる。もしかしたら関係を悪い方向に導いたり、あるいは相手を傷つけるかもしれない。それでも長くそばにいたい人とは、腹を割って話すことが本当に大切。他人の気持ちはいくら想像したって”想像”でしかないから、こまめに伝え合うこと。

私の不安をよそに、ルフィのように明るい未来を信じる彼が、とてもたくましく見えた。

3月11日(金)晴れ

最近、仕事帰りにスタバに寄るのにハマっている(と言っても2回目だけど。私は簡単に「ハマってる」なんて言ってしまう)。

今週は、心が乱れていたせいでとても長く感じた。やっとの思いで金曜夜に辿り着いた。それでも、好きな仕事をし、好きな人と暮らし、十分幸せじゃないかと、今は思えている。初めての「ほうじ茶&クラシックティーラテ」を飲みながら。「豊かな香りと奥深い味わいで、日常にひとときの癒しをもたらすティービバレッジです」という説明文は、全く嘘じゃない。

働く時間、お店でひとり過ごす時間、彼とのうんとリラックスした時間、友達と笑い合う時間、すべての要素が混ざり合って生活は回る。場所だって、情報の多い都会で刺激をもらう時間、自然の多い田舎で開放される時間、すべてが作用し合って生活は回る。

それらのバランスを心地よい配分に調整していく努力なら、いくらでもやってやろうじゃないの、と力が湧いてきた。「未来が決まっていないのが怖い」と泣きじゃくった昨日の私も確かに存在するけど、「怖い」と思いながら愉しめる胆力だってあるはずだ。

スタバで整ったおかげで、帰りの夜道はいつもと少し違って見えた。「駅前の銅像は誰なんだろう」「ここの看板かわいいな」。毎日通っているはずの道なのに、今まで全然気にも留めなかった。「この街、なんかおもんない」と思っていたのは、自分が無関心だったからだ。

私は都会がすきだ。人間のエネルギーが漲っていて、ハリがあるから。そこには、「誰かがよしとしたもの」もたくさんある。それでも私は「誰かがよしとしたもの」を享受して満足するのではなく、「自分がよしとしたもの」を見つめたくて創りたくて、この街に来たんだった。「初心」なんてものは変わって当然だけど、自分の決断を正解にするために、時に思い出すのも手である。

職場からも家からも離れて、一人になる時間ってやっぱり大切。ありがとうスターバックス、ありがとう金曜の夜。

3月12日(土)晴れ

今日は女友達とドライブ。東総社にある、カザハヤコーヒーさんがすばらしかった。空の広い水辺を前に、愛する人とおいしいコーヒーを淹れて、時折常連さんとおしゃべりを愉しむ。数年後に描く生活の形として、これ以上の豊かさってある?と思ってしまった。

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毎度我が家まで迎えに来てくれるイケメンな女友達は、話すほど嗜好の微妙な違いが浮き彫りになって愉しい。友達でも恋人でも、「あなたはこれが好きなのね、私はこっちが好き」を心地よく感じられる関係は尊い。

いつもの帰り道、「せっかくだからきれいな道を」と、いち早く咲き乱れる河津桜の河川敷にハンドルを切った瞬間、私はやっぱり彼女のことが大好きだと思った。

3月13日(日)晴れ

今朝は休日にも関わらず、平日よりも早起きして彼のお弁当を作った。作る予定はなかったけれど、あまりにも彼が忙しそうだからタンパク源と野菜を乗っけたお弁当を作ることにした。好きな人のためなら、早起きってこんなに簡単なんだなと思った。

今日は副業で請け負っているテキストの提出日だったため、夕方までまるっと予定を空けていた。無事昼過ぎに提出したところ、早速うれしい返信をもらい、ひとまず安心。

漠とした未来を気に病むよりも、好きな人と一緒にいられる間は愛を伝えて、求められた仕事には全力を尽くす。そうしながら虎視眈々と、準備する。その先にある選択肢は、今見えているものよりきっとカラフルなはずだ。

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