独り占めするほかない悦と傷。
夏風邪。風邪に「夏」が付くだけでちょっと可愛らしく思えてしまって憎いけれど、こいつがなかなかしんどい。
第一に、体温調整が難儀を極めている。ただでさえクーラーの±1度に、風向きに、毛布の厚さに…足したり引いたり苦心しているこの頃なのに。部屋も暑けりゃ自分の身体も灼熱地獄、ときどき悪寒。
ひとり暮らしで体調を崩すと、心までもが世紀末の雲に覆われるので一刻も早く治したい。iPhoneから流れてくるdesperadoが沁みる・・・。
今週はプライベートで残念なことがあって、欠けたパーセンテージを補うように仕事に精を出した。
日曜日から休日出勤、撮影、出張、飲み、取材、イベント対応、飲み・・・を体力よりも「楽しい!」という気持ちを優先させて駆け抜けていたら嗚呼、体が悲鳴を浴びた。
そもそも病は気からなのか、病が気を弱らせたのか・・・鶏と卵どちらが先なのか。いや、間違いなく相互作用の関係性。心も身体も、身ひとつのカラダだと思い知る。
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一日中布団にくるまってうずくまっていると、「何も考えない」というのが結構難しい。
夜ご飯のこととか(風邪をひいても食欲はある)、来年はどこの国に行こうかとか、未来について妄想しながら、この間もらった“嬉しいLINE”についても思い出していた。
通知を見た瞬間、思わず会社のデスクでくぁーっと言って顔を机につっぷしてしまうほどやられた。
一人で悦びを抱えきれなくて誰かに話したくて仕方なかったけれど、そのときはあえて「誰にも話さない」を選んだ。
誰にも話さなかったのは、
・どうして嬉しいのか話すと長くなる(前後の文脈や経緯がわからないと何がいいのかわからない)
・この悦びは自分のものだけにしておきたい
という二つの理由からだ。
人は、日々「おいしいねぇ」だとか「楽しいねぇ」だとか、共感に安心を感じるのが性だけれど、共感してもらえない出来事をたくさん持つことは「私以外私じゃないの」の証明で、生きる意味でもあると思うのだ。
映画にしろ小説にしろ、物語における「その一言」は、前後の文脈やそれまでの経緯を知ってこそ、観衆の心を動かす。自分の人生においてそれらを一番把握しているのは、どうしたって自分なのだ。
相談されたってしたって、「どうせあなたの中で答えはすでに出てるんでしょう」なんてことばかりで他人の意見は参考程度にしかならないし、
恋バナが好物のガールズだって、細かなニュアンスはわたしとカレにしかわからないと承知の上で楽しんでいる。恋愛においては、ことさら二人にしかわかり得ないことが多い。
「どうせ誰にもわかってもらえない」は、裏を返せば「この広い地球上で、私だけのもの」という至極贅沢な事実なのかもしれない。
あのとき、お母さんが仕事終わりに駆けつけてくれた愛を、
あのとき、頼もしかった上司の背中を、
あのとき、彼女がかけてくれた言葉の強さを、
あのとき、彼が言ったあの言葉を、表情を、
わたし以外の誰も知る術はない。
道を歩けば同じbeatsのイヤホンをしてる人には3人くらいに会うし、最近買ったユニクロのタンクトップは人気すぎてもはや手に入らないらしいけれど。
人生だけは誰にとってもオリジナル。経験は他の誰にも奪うことができない。
であれば、桜井和寿大詩人が「人生をフルコースで深くっ味わうための幾つものスパイスが誰もに用意されていて」と謳ったように、酸いも甘いもゆっくり噛み砕いて、ごくんと飲み干してやろうと思った次第である。
無駄な経験なんて、ましてや無駄な恋なんて、ひとつもない。
あぁ、熱が下がりません。
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楽しかった#週1note も今日で終わりでした!
かなしい〜〜さみしい〜〜またこんど!
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