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評価されたいと思わない。

 私は一般の人に認知されたいとか、評価されたいと思わないほうがいいと思っている。
 その考えは、十年以上前に、自著を出版したときと、期待の落差があまりにも大きく、しばらく悩み苦しんだ経験から来ている。
 正直に言うと、まったく売れなかったのだ。印税は5万円ほど。何年もかけて準備して、これでは浮かばれないと感じるのは間違っているだろうか。
 いろいろと自分なりに分析をした。自分に期待すること自体はいい。でもそのベクトルが違う方向に向いていなかったか。理解されたいと願うあまり、他人に押し付ける作品になっていなかったか。
 今思うと、まったくの無名の新人が小さな出版社から宣伝もせずに本を出し、売れると思っているほうがどうかしている。それでも私のプライドは傷ついた。こんなことでは世界は変わらないのだと思った。変わってしまったら、それはそれで苦しんだだろうに。

 だから今こうして細々と書き綴っているのは、世間様に対してというより自分に対してメッセージを送っているという意味が大きい。
 自分なり他人なりに期待すればするほど、失敗したときの痛みも大きくなる。中庸が大事だ。あまり自意識を肥大させないこと。ダメだったらダメという結果を冷静に受け止め分析すること。自分ひとりでやっていることに関しては自己解決を図ること。
 ここ数年、ひとりで考えて会得したことだ。
 あと、コンスタントに書き続けられない人は、物書きになれない。向いていないのではなくなれない。いつもことばで胸の中があふれかえっているような人でないと、物書きの世界は苦しすぎる。ついでに、構成力や客観力、批評眼も最低限持っていないと、もっと苦しむことになる。おそらくこれは、先天的にある程度獲得していなければいけない能力だ。
 これらのハードルをクリアしても、作家になれるとは限らない。最終的には運、そして出会いだ。応募した賞の選考委員と相性が合致しているか。自分を本気で世に出したいと思ってくれる編集者と出会えるか。
 万が一出版できたとする。今度は批評の眼にさらされる。これは無責任で容赦がなく、誤読もしばしばある。胸かきむしられる思いも多々することだろう。しかも売れなくては次の本も出せない。そのためには本意ではない文章も書かなければならない。
 敗残者は問う。それでもあなたは、作家になりたいのですか?


 

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