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育児における見守り

こんにちは、ぶんちゃです。
1歳8ヶ月の娘の母です。1歳半健診で発達障害障害を示唆され、娘の成長や特性を記録しようとnoteをはじめました。
今日は、育児の中で私が意識している「見守り」と「声掛け」についてアウトプットします。

娘の一人遊び

娘が一人遊びをするようになったのは1歳ころから。
それまでは、私がトイレに数秒から数分離れただけでも大号泣でした。
ご飯を作ったり家事をする時間はもっぱら朝イチ娘が起きるまでの1時間と、寝かしつけ後でした。
産後1年間、言葉通りに娘とずっと一緒にいたのですが、徐々に一人遊びができるようになりました。この頃は癇癪も増え、泣いたらいつまでも泣いてぐずって支援センターでもお家でも友達と一緒にいられない状態が続いていました。
「なんとかせねば。」という思いで、娘の行動をどうこうしようとする前に、私自身の関わり方を見直すべきだと感じたのです。

現在、どのような関わり方をしているか、具体的にまとめていきます。

音楽のかけ流し

一人遊びをよくするときは、音楽をかけ流しているときだと判明しました。
音楽に合わせて体を揺らしていたり、好きな玩具を出してきて遊んだり。

音楽がとまると、遊びもやめてしまいます。音楽がなにかスイッチになっているようです。(もちろん、音楽がかかっていても一人遊びせず、私を呼ぶこともあります。)
一人で遊んでいる間は基本的に、離れて見守ることにしています。リビングで遊ぶ娘が見渡せる、ダイニングから様子を見ています。
LDKなので娘の様子はしっかり見えるけれど、娘の遊びの邪魔になりません。(なんなら家事も進みます。)

ブロック遊びをしているとき

ブロックで遊んでいるときの集中力はすさまじいので、できる限り存在を消して、製作に没頭してもらいます。しかし、うまくできずに癇癪をおこしたときや、思い通りに作り上げられて歓声を上げているときにはしっかり娘を見つめます。
いきなり声はかけません。いつでも目を合わせられるように準備だけして、娘が私を見たら「思うようにくっつかなくて悔しいね。」「たくさんのブロックがつながったね。」「素敵な作品だね。もっと見せて。」など声をかけます。
娘がこちらを見ないときは、泣いていてもそのまま見守り続けます。一切声はかけません。
焦って声をかけてしまうと、集中していた気持ちも途切れてしまうし、気持ちが切れたことでぐずりだしてしまうこともあります。
なので、危険さえなければ、どんなに上手にできていても、泣いていても、私を見ない限り様子見です。泣いていても、自力でトライ・アンド・エラーでやりきることもあるし、さっさとちがう遊びに切り替えることもあるし。自分で対応できるなら、見守ってその力を伸ばす方が良いと考えています。
その代わり、あとから出来上がったブロックを見て、「わぁーすごい!全部一人で作れたんだね!」と娘の前に作品を見せながらフィードバックします。
他にも、ブロックを持って「はい」と渡してきたときはヘルプの印なので、よほど手の離せないことをしていない限りは自分のことは中断して「お手伝いしましょうか。」と娘の遊び場に入ります。そして一緒にブロックを組み立てて遊びます。しばらくして、私のことを一切見ずに黙々と作業しはじめたら静かに離れます。

絵本を読みだしたら

一人遊びの途中で絵本棚から絵本を出してくることがあります。その時も慌てて「読もうか?」とは声をかけません。
一人でページをめくって楽しむ日もあるからです。
私が声をかけるのは娘が絵本を持って「はい」と渡してきたとき。基本的に本人が持ってきたときだけ。そのかわり持ってきたときは、娘が満足するまで何回でも何冊でも読みます。
絵本でゾーンに入ったときは、正直私の方が喉もカラカラでさきにバテそうになります。
それでも、絶対に終わりはくるので、ここは根比べ!とでも言わんばかりにがんばります。(毎日音読していると、お気に入り絵本はページを見なくても読めますね。)

他の遊びでは・・・


他の場面でも基本的に考え方は同じです。
とにかく、一人で集中しているときは声はかけない!
大人の声掛けの重要性もよく聞きますが、ひたすら話しかけるのは1歳までかな?と思っています。1歳過ぎて一人遊びをしているなら、あまりにもいちいち声をかけていては、本人の思考を邪魔します。
見てほしい、助けてほしい、一緒にしたい、そういうときは、しっかり合図をくれます。私は、その合図を見逃さないことに力を注ぐことにしています。

踊っているときも笑っているときも、何をしていても、共感してほしいときはかならずこちらを見ます。そばに来ます。その時は全力で声もかけるし、抱きしめて話します。夢中になっているときは見守るだけです。


まとめ

「見守り」と「声掛け」のメリハリを意識するようになってから、娘の癇癪は減ったように思います。
できることもぐっと増えました。(月齢的なタイミングもあるかもしれませんが)
闇雲に「〜かな?」「〜したいんだね。」「一緒に〜しよう。」「これは〜だね。」と声掛けを頑張っていた時期は、わけのわからないぐずりも多くて一緒にいることが辛くなることもありました。
程よい距離感が、冷静に娘のことを見れるようになり、おかげで娘ものびのび活動できるようになったのかな、と思います。
泣いているとついすぐに駆けつけたくなるし、たくさん話しかけたり、だっこしたり、かまいたくなります。しかし、娘の場合は程よく見守る方が、自分でじっくり考えたり、気持ちを切り替えたりできるようです。

1歳頃、癇癪がひどくて外でもいつまでも泣いていて、「いやいや期にしてはちょっと早いね」と言われることも。
今思うと、私が喋りすぎていて、気持ちの落ち着かせどころを見失わせていたんだと思います。
大人でもそうですよね。イライラしてるときに、正論であっても、次々になにか言われたら、一層イライラが増します。子どもだって、自分で考える力はすでにあるんです。
そこの力を信じて待つ。見守る。
今後も「見守る」は意識して行きたいと思います。

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