勝手に教えちゃっていいのかな。
親切心で行動しているのは、いいことだけど、悪気はないから困ることも…
人は、相手がきっと喜んでくれるだろうと思って行動を起こす。そして、相手が「ありがとう。うれしい。よかった」と言ってくれたり、喜んでくれる、はず…。期待したいんだよね、喜んでくれてるはずって。でも、どうかなと思うことにたびたび遭遇する。
例えば、高齢者同士の会話で、「だれだれさんの電話番号知ってる?」と聞かれて、「知ってる、知ってる。〇〇だよ」とすぐに教えている。いいのかな。
その「だれだれさん」は、この高齢者同士の友達で電話番号を簡単に教えても大丈夫な関係なのだろうか? 友達でもない場合はどうだろう。
「あなたのために…」それはほんとにあなたのためなのかしら。
「私のしている行動は正しい、あなたのためにしてあげているのだから」といわれるけど、本当に、「あなた」のためなのかしら?
行動している「私」のためなのではないかしら、と、思うことがある。
ある作業をお願いするとき、手順などを説明する。その作業方法は、説明する人のそれまでの経験から導き出された方法が、最善とされている。確かに効率よくできるよう工夫されている。ただ、なにか「もやもや」するものがある。なんだろ、この感覚。作業方法のひとつひとつに、説明する人の経験談を織り込みながら、説明を進めていくので、聞いているほうは混乱しないかな、と心配になる。肝心なことを忘れちゃったり、まちがえないといいな。
余計なお世話と思われちゃう。
「正しい行動」なので皆さんもきっとそう思うんはずと確信してるのが、やっぱり不思議。その一言が「余計な一言」、その行動が「余計なお世話」になっていないかと、自分自身も含めて見直さなければと、思う
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