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おもいやりのかたち

電車のなかで考えた。優先席を見ながら考えた。

これからの高齢者社会、優先席じゃ足りないってことで、優先車両というものを作ったら、それは福祉になるんだろうか。差別になってしまうんだろうか。

その車両を端っこに置いたら差別で、真ん中に置いたら福祉だろうか。

どこかの国であった、黒人は白人車両に乗ってはいけないとかいう隔離政策を連想させるようにも思うが、グリーン車だと考えれば優遇ということになるようにも思う。

優先車両に年寄りが満ちたら、どんなふうに譲り合うのだろう。証明書とか出して高齢の人から順に座るのだろうか。

障害者が満ちたら、障害の重さの順だろうか。妊婦だったら月数の多いほうか、つわりのころか。

と、そこまで考えて、それぞれの具体的な場面が思い浮かぶと、ひとはいろいろちがうほうが落ち着くなあと思えてくる。一色に染まるとなんだか居心地がわるいような気がするのだ。

それと、なんか間違ってるような感じだなあ。

たとえば、便利さを追求する電化製品のメインテナンスが一番不便だったりすることや、その説明書の読解にかける時間や読み直す時間がひどく長くかかること、みたいな本末転倒っぽいことが世の中にはたくさんあって、優先車両もそんなふうなもののひとつなのかなと思ったりもする。

思いやりとか親切のかたちをきっちり定めてしまうと、とたんに消えてしまうものがある。自分の意思とか発想とか自分なりのこころばえのようなものが塗りつぶされてしまうような感じ。

優先席ってのが、不自然なことなんだなと郊外へ行く空いた電車でおばさんは考えていたのである。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️