ラルフのためいき 12「テルⅢ」
テルは道場に自転車で通ってきてた。運動神経がいい奴だから、小学校一年生でも補助輪なしでスイスイどこへもいっちまう。体のバランスがいいんだろうな。両手放しだって出来ちまうんだ、あいつ。
でも、きいっちゃんは、過保護だからさ、そうはいかない。あぶないあぶないって家のひとに言われちゃうからな。だから、世田谷から持ってきたにいさんからのおさがりの自転車にはゴロゴロと大きな音をたてる補助輪がついていた。
補助輪によっかかって走ってる分には転ばないから安全だけど、スピードが出ないんだよな。補助ナシはなんかこう、男らしくもあってあこがれるんだな。それに、きいっちゃんはなんだってテルみたいになりたいから、自分も補助輪ナシの自転車に乗る練習を始めたんだ。
まあ、じいさんは年だから無理だから、土門が練習に付き合って後ろを持って励ましながら走ってた。
「俺が持ってるから大丈夫さ。……どんどんこいで……ハンドルは真っ直ぐな」
そんなこと言われたってさ、はじめてのことだからさ、きいっちゃんたら、おっとと、おっとと、と言いながら、倒れてたな。地面と自分を繋いでいた支えがなくなるんだもん、そりゃあ、ふらふら、不安定になるさ。赤ん坊が自分の足で初めて立つときみたいなもんさ。
だから。転んですりきずもたくさん作った。それでもめげてなかったな。なにしろテルみたいになりたいんだからな。土門の腰が疲れると樹菜ちゃんが交代したりしてたな。そういえば、樹菜ちゃんのときのほうが上手く走れてたみたいな気もした。
樹菜ちゃん、褒めるのうまいからな。「ステキよー」なんて言っちゃうんだもんな。そんな繰り返しをしているうちに、きいっちゃんはふらふらしならも、だんだん転ばなくなっていった。
剣道で体ができてきてたんだろうね。筋肉がついたんだな。さすがだよ。きいっちゃん、じいさんの前で誇らしげに走ってみせたりしてたな。じいさん、腕組みしてヨシヨシなんて頷いていたけど、こころのなかじゃ、ころぶんじゃないかって心配してたみたいだったな。
補助輪がなくなって格段に早く走れるようになったきいっちゃんはご機嫌でさ、オイラといっしょに近所周りを走ったものさ。
夏の終わりの夕方、空では青空とオレンジの陣取り合戦が始まる頃、なごりの熱気を振り払うようにオイラときいっちゃんの自転車は鵠沼の私道を走り抜けていったんだよ。オイラの足はぐんぐん前に出て、きいっちゃんも腰を浮かせて立ちこぎをしたりする。
家々の植え込みの葉っぱを揺らした気まぐれな風がオイラの尻尾ときいっちゃんのサラサラの前髪もふわりと撫でていくんだ。気持ちのいいもんさ。オイラが「いいね」って言っても、きいっちゃんにはワンとしか聞こえないし、きいっちゃんはなんにも言わないんだけど、それでもいっしょに走る時間はしあわせな時間だったなって今でも思うよ。
どこまでもいっしょに走っていきたい気分だったなあ。
テルがいっしょに走ることもあったさ。ふたりは、ふふふ、なんて笑いあいながら走ってたな。きいっちゃんはいつもテルの背中を見て走ったんだ。テルの背中は大きくはないけど、真っ直ぐ伸びて引き締まっている。その背中が安心の元のようにオイラには見えたな。
テル、きいっちゃん、オイラの順で、鵠沼海岸へいく歩道を走っているとき、テルの前に横道から小さい子が飛び出してきた。
驚いたテルは急ブレーキをかけたが、バランスを崩して車道のほうへ倒れこんでしまった。びっくりしたオイラは、車に轢かれたらたいへんだから、テルのそばによって何しろ大声で吠えまくった。
そしたら、その声で小さい子がオンオン泣き出しちまって、大騒ぎさ。そんなときに、オイラの耳に聞こえたんだ。
「テル……テル……テルー!!」
最初はかすかな小さな声だったけど、だんだん大きくなって悲鳴のようになっていった。それは久しぶりに聞く、きいっちゃんの声だった。
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