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先生たち10 アカシセンセイ

ほんとにその名も忘れていた。遠い時間のなかのひと。振り返った作文のなかにセンセイはいた。そしてそこには悲しい別れもあった。

思い出して何になるのかはわからないが、そこにあたしがいて、そこで生きて、心を波立たせていたのは確かだから、掬い取って遺しておきたいと思うのだ。あたしのために。

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十歳のとき、腎臓病で京都国立病院に入院した。そのときの主治医の名を今も忘れずにいる。アカシセンセイだ。

目の細い、髪をオールバックにした面長の中年のおじさんだったという記憶があるのだけれど、小学校4年生の目にはおじさんでも、きっと今のわたしよりは若かっただろう。

肝臓の調子も悪かったので、アカシセンセイはよく肝臓のあたりを触診した。

肝臓の腫れを確かめていたのだろう。何箇所が押されて、ここは痛いか、痛くないかと聞かれた。それが脇腹の近くだったから、いつもくすぐったくて身をよじった。そしていつも「これこれ」と静かにと笑いながら叱られた。

入院中、夜更けにとなりの病室の赤ちゃんの具合が悪くなったとき、わたしたちはアカシセンセイを頼みに思い、なんとか助けて!願った。

原因不明の熱が続いて入院してきたその子はイッちゃんと呼ばれていた。

イッちゃんは、巻き毛で黒目がちの目をしたかわいい赤ちゃんだった。

色白の頬が熱のためにいつもピンクに染まっていた。苦しげな息をするいっちゃんを見るのはつらかった。

小康状態になればくっくっくっとよく笑った。愛くるしいという言葉がだれより似合ういっちゃんは病棟のアイドルだった。

そんな一歳にもならない赤ん坊のいっちゃんは、アカシセンセイの奮闘むなしく厳冬の明け方に逝ってしまった。わたしたちが眠っている間に逝ってしまった。

十歳のわたしは、初めて肉親以外の死を体験した。

そこにいたいっちゃんがいなくなってしまった。あんなに良く笑う赤ん坊だったのに、もうどこにもいなくなってしまった。おじいさんでもおばあさんでもない、赤ん坊が死んでしまった。病気は手加減しないのだと思った。

小児病棟は悲嘆にくれた。すごく大人にみえた婦長さんの目も見習いの看護婦さんの目もおなじように赤かった。アカシセンセイはどんな気持ちだったろう。

主のいないカラのベッドにくるくる回る遊具がついていた。いっちゃんのえくぼのできた小さな手が伸びてきそうな気がしていた。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️