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ふびんや 22「片袖袋 Ⅳ」

ひなはガラス戸を閉めながら、あずのまねをして「はー、お江戸のおひとはせわしないことや」と言ってみる。言ったとたんに笑いがこみ上げてくる。

その思い出し笑いが収まったころ、電話が鳴った。

「はい、ふびんやです……あっ、さくらちゃん、お久しぶりです。……摂おばさん、たいへんだったね。……うううん、わたしたちも摂おばさんの顔が見られてうれしかった……ふふ、おじさんって泣き上戸なのね……うううん、気にしないで……」

声の主は隣家のあかねの姉のさくらだった。今は結婚して、杉並のほうに住んでいる。

「マーくん、大きくなったでしょう?……ふふ、声が聞こえてる。元気そうね……なに? バッグ? お姑さんにプレセントするのね……うん、うん、……へー、四国から出てくるのー? さくらちゃんもたいへんね……うん、わかった。酒袋と大島をアレンジしたやつね。……あるある。けど、あれはけっこう値が張るけどいいの? うん……うん……ふふ、先行投資? なるほど……じゃ、あかねちゃんがきたらわたせばいいのね……了解」

あわてた伊沙子が出しっぱなしにしておいた片袖袋をしまおうと舟箪笥を開けると、底に残っていた袋に縫い付けられたスパンコールが、明滅するように光った。その下には空色のごつい木綿の布がのぞいている。そのカーテンもバーバラの置き土産だ。

ブロンドの髪を短く刈り込んだバーバラが人懐っこい笑顔でこの店に入ってきたのも、やはり寒い雨の日だった。三年近く前、節分から何日が経ったころだったろうか。

「コンニチハ」と語頭にアクセントを置いたあいさつをしたあと、バーバラは名刺をだして、ぺらぺらぺらと英語でまくし立て始めた。あずもひなも英語が得意なほうでないので、これには往生してしまった。

ときおり日本語が混じっているのだが、どうにもそのつながりがわからず、ふたりは背の高いバーバラをポカンと見上げるばかりだった。

「そうや、さくらちゃんを呼んできてんか。通訳してもらお。今日は非番やと思うし」

その頃、さくらは婚約者がいたが、まだ独身で、航空会社のカウンター業務をしていた。

「うー、早口だわあ、このおばさん。手ごわい」

などといいながらも、さすがに実践で英語力を鍛えているさくらは、その礫のような日本語交じりのアメリカ英語を聞き分ける。その気合の入った顔つきが摂にそっくりだ。

「えーっとね、このひと、テキサス出身でね、バーバラ・リードっていうんだけど、六十四歳の未亡人なんだって。息子さんと娘さんが日本人と結婚してるんで、最近、日本に来たそうよ。娘さんのクリスティが仙台坂のほうに住んでるんで、自分はこの近所のアパート借りたって言ってる」

「へー、そうかいな。ほなら、バーバラはんはメリーウイドウやな」

その言葉を聞いてバーバラは「イエス、イエス」とにっこりする。

「そうかあ、それで、ときどき日本語が混じるのね。たかーし、たかーし、って言ってたのはきっとたかしっていうお婿さんの名前ね」

「ちがうちがう、娘婿は高橋さんっていうらしいわよ。アパレルメーカーの社長なんだって。なんかね、このひとこのあたりで英会話の個人レッスンかグループレッスンをしたいんだって。ここのお客さんにそういうひとはいないかって聞いてる」

「そんなお金持ちやのに英会話のセンセしたいのんか」

「したいっていうんじゃなくて、娘を頼ってきたものの、景気が良くないから、旦那の会社も大変で、そのうえ子供三人いて、私立の学校に入れてるからお金かかるんだって。このままじゃ肩身が狭いから、自分でなんとか稼ぎたいみたい」

「そうかあ、ほんなら、さくらちゃん、その件はここにくるお客さんに聞いときます、て、いうといて」

バーバラが、色とりどりの派手な傘を広げて出て行ったときには、三人はもうすっかり疲れはてて、こあがりにどっかりすわりこんでしまった。耳の奥でバーバラの早口の英語が激しい雨音のように響いていた。

そんなことを思い出しながら、ひといき入れようと、スナフキンの絵柄のついたマグカップに紅茶を入れていると、あかねがやってきた。

「ちわ。夕べは、ほんとごめんねー、ひなちゃん。おばさんは大丈夫だった?」

「うん、やたら早起きして、行ったよ。あかねちゃんこそ、たいへんだったでしょう?」

ひなはそういいながらミーのマグカップに紅茶を入れて、あかねに渡す。

「あ、ありがとう。あー、あったかい。まあねえ、慣れてるけど、でかいおやじさんだからねえ。肩凝っちゃった」

「おつかれさま。今日はバイト、休み?」

「うううん、遅番。さくらねえのとこ寄ってから行く」

「そうそう、さっき、さくらちゃんから電話あった。これでいいかな?」

ひなは用意した茶系で、マチの大ぶりのバッグを見せる。これはあずの作品で、大島紬をパッチワークしたものを額縁のように酒袋の布で囲んであり、キルトも入って、しっかりとした仕立てだ。

「うん、それそれ。実に渋いよね。海老で鯛を釣ろうって魂胆らしいけど、ほんとさくらねえは計算高いよねえ」

「さくらちゃんは照れてるだけじゃないの?」

「ひなちゃんは甘い! いっしょに暮らしたらわかるから。あ、そうそう、それから、わたしがマーくんにおみやげもってくから、ひな袋もお願い。藍染ふうのがいいな。」

「はい、片袖袋でございますね」

「いえ、ひな袋をお願いいたしますわ」

「ふふ、こころえましてござそうろう。……伊沙子さんもさあ、ひな袋っていうんだよね」

「ここいらのブランド品なんだから、それでいいんじゃない? そうだ、伊沙子さんていれば、このまえ、とうさんが『笹生』で酔いつぶれちゃってさ、また、わたしが迎えにいったんだけど、あそこの夫婦も仲がいいよね」

「うん。子供がいないからねえって伊沙子さん本人は言ってたけど、なんかさ、年は取ってるけど惚れあってるって言葉が似合いそうだよね」

「うんうん、わかる。でさ、その日はさ、ほかに客がいなかったから、ふたりがカラオケで、『ラブミーテンダー』とか歌ってたんだよ」

「ああ、それって例のバーバラが英語カラオケ教室で教えたやつだよ、きっと」

「なんかさ、思い入れたっぷりに、ラブ ミー スィート なんて顔見合わせて歌ってんの。思わず、ヒューヒューっていっちゃった」

「あかねちゃんたら……」



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