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遠い日の京都 「竜安寺はお好き?」

あたしの前を義姉が行く。言葉を交わすこともなく、ひたすら歩く。 その太いけれど足首の締まったふくらはぎを見つめながら 早足で追いかける。九つも年が違えば歩幅も違う。 汗が首筋を伝う。

それは小学5年生の夏休みのことだ。

義姉のふくらはぎから目をあげ「どこいくのん?」と さっきからの疑問を口にする。

と、義姉はすばやく振り返り、 形のよい唇の片端を皮肉っぽくあげて 「行ったらわかる」とだけ答えた。

嫌な予感がした。どうも雲行きがよくない。 義姉のこんな感じはなんだか危険なのだ。

暑くてかなわないこんな時期、 母親に小学生の義妹をどこかに連れて行くようにと 言われた短大生の義姉が上機嫌な訳はない。

ようやく辿り着いたところはなんとも古めかしいお寺だった。 「りゅうあんじ」とあたしがその寺の名を読んでみると 間髪をいれず「りょうあんじ!」と大きな声で訂正された。 やっぱり、怒ってるみたいだ。

寺の中は、外の明るさに慣れた目には暗く感じられた。 ぼんやり視線をさまよわせていると「なにしてんのん!」という声が飛んでくる。 

義姉はりっぱなお庭にむかって開け放たれた縁側に座っていた。 しかたなくあたしもその横に腰をおろす。

「宇宙やなあ、これは」と感極まったような声で義姉が言う。 白い玉砂利のなかの大小の石を見ての感想だ。

  庭の奥の土壁を指差して、 「あの色合いなんともいえずええなあ」としみじみ言う。

そっちに目をやる。なにが宇宙なのかわからない。 その土壁にいたっては、色合いもなにも、あたしにはいろんな色が混じったものすごく古びた汚い壁にしか見えなかった。

しかし、経験則である。なにも言わない。 ここで「汚い壁」などと言おうものなら、困ったことになる。

その少し前、油絵を好む義姉に 有無をいわさずミロ展に連れて行かれたことがあった。 抽象画など見たことがなかったあたしは訳がわからず 「ヘンな絵」と言ってしまった。 


すると義姉は大きな目をむいて、猛烈な勢いで
「アンタはなんにもわかってへん!」と怒ったのだった。

その当時から今に至るまで、 義姉の恫喝にも聞こえる迫力のある口調に 私ごときの小心者が太刀打ちできようはずはないのである。

そのあと、竜安寺でのひとときは 無言の行をするかのように静謐のうちに過ぎていった。 小学5年生は予想外に重たい一日を持て余していた。

その後、京都にいた十数年のうち竜安寺にはなんども足を運んだ。 青葉のころ、紅葉のころ、ちぎれるような寒さのころ ペンフレンドや他府県出身の友人たちを案内した。 どのひとともゆったりとして心地よい時間をともに過ごした。

それでも、石庭を見終わって出口に向かう時、ふっと振り返ると そこにはいつも小学生の私がいた。 年上の義姉の顔色をうかがいながら、怖くて何も言えず、 ただ義姉が立ち上がるのを待っている、膝小僧をかかえて、所在なげにしている十歳の私がいた。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️