見出し画像

世田谷パプリックシアター

鼓童のライブを聴いた。

この劇場は初めてだった。 黒のごつごつした壁を伝って視線を上げていくと 天井に青空が描いてある。ふふん、という気分になる。

舞台にいるのは7人の男。 いつものはっぴや鉢巻姿ではない。

黒のタンクトップ。 胸の辺りにDADANときらめくスパンコール。 髪も肌もなにやらきらめく粉が振られていて これはなにやら、いつもと違う。坂東玉三郎の演出。

まず最初に、ツツツと舞台に現れたのは 古代の戦いに使われたような あるいはパイプ爆弾のような細工した竹が並ぶ楽器だ。

音階があって旋律が響く。 それには、森のなかに導かれるような響きがある。 ここから、ここではないところへ、時を遡る。

森の奥の奥、ひとがひとである前、耳に響く音があった。それはなんだ、と追いかける。これか、と叩いてみる。叩けば鳴る。どんどん叩く。気持ちが踊る。

そんなふうに太鼓は響く。

太鼓の音が消えないうちに、火を継ぐように竹の楽器が鳴る。その旋律はその後も「展覧会の絵」の回廊のように舞台を繋ぐ。 

太鼓の大きさがだんだん大きくなる。と、男たちは黒の衣装を脱ぎ捨て、その下にきていた白い衣装になる。上半身は肌をさらす。鼓童が現れる。

大きな太鼓に向き合う背中。

ああ、太鼓を叩く男たちの体はなんて美しいのだろう。素晴らしい。見惚れる。それは音が作った筋肉なのだと思う。

バチを持つ手を振り上げ振り下ろす。と、滑らかで体脂肪の少ない背中の肩甲骨の下のくぼみが生き物のように動く。

あ、そのくぼみには、かつて羽があったのかもしれない。そんな気がしてくる。

彼らは失われた羽を求めている。天に向かって振り上げられた腕はその速さゆえに弧を描くかのように見える。あ、そこの羽がある。

と、勝手な思いはまた角度を変える。その弧は炎のようにも見えてくる。魂が燃えているのだと思えてくる。身のうちにある猛々しいものがその出口を求めているのだ、とも。

その命を削るような太鼓の響きはとんがった欠片になって胸を突く。次から次へとやってくる欠片をしっかり受け止める。

ああ、自分も生きてるんだって感じられる瞬間がやってきて、自然に涙が流れる。

メンバーのなかに見留知弘さんがいる。一番のお気に入り。7人のなかでは一番小柄で年上だと思う。太鼓を叩く背中もいいのだがこのひとが天を仰ぐ姿がいい。

自分をなにかに預けて願っているかのようで、それはひとである身の謙虚さでもあるようでこころに残る。

そして、笑顔がいい。あったかな笑顔。そこぬけにいいひとの笑顔。緑の風景のなかに置きたい笑顔。見留さんの大太鼓、また泣いてしまった・・・。

舞台に言葉はない。あるのは交わす視線と腹のそこから湧き出るような掛け声だ。

あたしは掛け声フェチでその掛け声にまた泣かされる。泣きながら思いっきり拍手してエンディングを、迎える。

アンコールで、背広姿の玉三郎が現れる。失礼ながら、一瞬頭の形がイチジクみたいなだなと思う。全身を見ると、おもいっきりなで肩で今まで舞台で躍動していた肉体との違いを思う。

男でありながら女になることを選んだ人が男たちの見せ方の演出をすることを思う。そして行き当たる。

つまりは「美しさ」だ。

終演後、響き渡る拍手の中でお隣の席の見知らぬ世田谷マダムが言った。
「すばらしいですわね」 

「はい」とうなづいた。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️