かなしいこと。

人間は誰かの役に立たないで長い時間を過ごすと
正気ではいられなくなるそうだ。

それは本能的に組み込まれているものなのだ、と
ずっと前、京大の霊長類研究所のセンセイが3チャンネルの視点論点で言っていた。

生殖を終えてなお長生きする生物はあまりいない。例外的に長生きするものもいて、象もそのひとつだ。

群れのなかのごくつぶしのような存在であっても、その老いた象は、津波が来る前の低周波を感じ取って、これが危険の前触れであるという経験的記憶を持っていて、群れを先導して安全な場所に連れていくことができたりする。つまり群れの役に立つことができる。

それが知恵というものだが、人間の場合、科学技術の発達がその知恵をいらないものにしてしまった、という。

また、子供が言語を覚えることについても、難しい言葉を言うと、驚かれ、褒められるからどんどん覚えていくらしい。

なにごとにつけても、その驚かれ、褒められるという経験が人間を前に進める。それは実感できる。

しかし、誰に褒められることもなく、誰かの役に立てない老人の目の前にあるのは、日々の繰り返しだ。

かつて100歳の双子であるキンさんギンさんが
不死鳥のように活躍できたのは、驚かれ褒められ
お仕事をして、誰かの役に立つことができる、という状況が生まれたからだろう。

誰にも驚かれず褒められない人間は、起きて食べてひって寝て、起きて食べてひって寝て、その繰り返しの中で、ただ老いて正気を失っていく。それが現実なのか。

役に立つということ。それがそこにいてもいい証だというのが、あたしには哀しい


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