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ふびんや 25「片袖袋 Ⅶ」

「ああ、ひなちゃん、そこでなんか空き巣に入ってるみたいな気分だったんじゃないの?」

「うん、そう、なんだかうしろめたくて。こんなとこ、誰かに見られたら、どう弁解しても泥棒に見えるだろうなあって思った」

「はは、ひなちゃんらしい。でもさ、そういうの、バーバラはもう全部割り切ってたんじゃないの?」

「そうかもしれない。……今思うと、わたしはそれが一番せつなかったのかもしれない」


ひながゆっくりと階段をあがっていくと、踊り場の隅にも衣類が積んであった。出て行くときそれを持っていこうとしていたのだろうが、それをここで投げ出してしまうような差し迫った何かが高橋社長一家の身に起こっていたのか。何があったのか。

バーバラは子供部屋にいた。窓には空と雲とカモメをデザインした水色のカーテンが掛かっていた。ベッドではカーテンと同じ模様の布でカバーされた掛け布団が、さっきまでそこで誰かが眠っていたかのようにこんもりと盛り上がっていた。やはり夜、寝ていた子を起こして連れて行ったのだろうか。その子たちに夫婦はどんな言葉をかけたのだろう。

バーバラは机の上にあった黒い缶にカバンから取り出したCDを入れた。そして「トゥー イサコ」と言ってそれを差し出した。道具箱のような蓋つきの缶には、ゴシック調のクラシックで華やかな絵柄が付いていた。開けてみると、プレスリーやビートルズの名前が見えた。

ジャニス・ジョップリンという女性歌手のCDもあった。ひなの知らないアーティストだった。取り出してみると、丸いめがねをかけた、風変わりな、なんとなく不器用そうなおんなのひとが、あったかな笑顔でこちらを見つめていた。バーバラは、自分の娘のクリスティはこの歌手に似ているのだと言った。その丸い顔は面長のバーバラにはちっとも似ていなかった。

隣りは夫婦の寝室だった。サテンのベッドカバーがかかった大きなダブルベッドが部屋に真ん中におかれていた。そのうえにもクリスティのうろたえぶりを示すように衣類やバッグ、化粧ポーチや裁縫箱など、たくさんのものが散在していた。

ひなはとりあえず混沌としたベッドの上で、同じ種類のものをひとまとめにしていった。連絡がつけばクリスティのもとに送れるように、軽く畳んだ衣類を、部屋の隅にあった紙袋に仕分けして入れた。

クリスティはここで、なにが必要で、なにがいらないのかを思案したにちがいない。これから先の自分にとって大切なものを瞬時に選び取らなければならなくなったとき、ひとはどんなことを考えるのだろう。

京都から東京にくるとき、あずとひなもたくさんのものを捨ててきた。重すぎる荷物を抱えてはどこへもいけない。

クリスティは思い出だけをもっていったのだろうか。しかしいつだって思い出はいいこととそうでないことのリバーシブルだから、いやなことを忘れたいのなら、全て置いてくるしかない。


「バーバラは、なんか、人が変わったみたいな、なんというか、税務署の人みたいな顔つきで家の隅々まで踏み込んでいくんだもん」

「だって、そのために行ったんでしょ? そこで娘さんの暮らしが凍り付いてんだからさ、いろんなところからアイスピックを差し込んで砕いて溶かそうとしてたんじゃないの」

「ああ、あかねちゃん、うまいこというね。そうなんだけどねえ……ベッドルームに入ってクローゼットのなかをかき回してるバーバラは、バーゲンセールで張り切ってるおばさんみたいで、なんかたまらなかったの。なんでそんなふうにするのかなあって」

「ひなちゃんの気持ちもわかるけどさ、そこで泣いてもしょうがないじゃない。たぶん、バーバラってそれまでに、いっぱいそういう修羅をくぐってきてるんじゃないのかな」

「そうかあ、そうかもしれないね。だんなさんふたりと息子さん、亡くしてるんだもんね」

「いやあ、きつい人生だねえ」

「でもわたしも今より若かったわけだからさ、自分が京都に置いてきたもののこととか思い出して、ちょっと、おセンチだったのよ」

「へー、おセンチーでございますか?」

「御意、おセンチでございまする」


プラスティックの衣装箱には布地が入っていた。バーバラはそれも引っ張り出す。派手な布が部屋に飛び出し色が氾濫する。

四十センチ角くらいのスパンコールの付いた黒い別珍の布もそこにあった。数え切れないほどの量だった。なにかの手違いで商品になりそこねたものをそこに押し込めてあるようだった。倒産した会社のものだったのかもしれない。

続けてバーバラはクローゼットを開けて中身を物色した。ハンガーに掛かったクリスティの服や、高橋社長のコートを自分の身に当てたり、ひなに当てようとしたりした。

クローゼットの隅からは小さな木製の引き出しも出てきた。取っ手は薄い金具で、てっぺんには喜がふたつならんだような字に象られた装飾金具が付いていた。引き出し内部に鮮やかな黄緑の絹が張られたそれは、いささか古びていて、いずれ骨董の部類にはいるもののように見えた。

バーバラは中のものを取り出して、そこに別珍の布を押し込んで、「これはあなたたちの店におけばいい」と言った。

「そんなの持って帰れない」とひなが首を横に振ると、バーバラは子供部屋の水色のカーテンをはずして持ってきた。それを床に広げ、そこに引き出しと缶と別珍の布を入れてぎゅっと絞り、「これで持てる」と言った。

ひなはふうーとため息がでた。ため息といっしょにちからが抜けていった。「ありがとう」と答えると、バーバラはうれしそうに微笑んだ。


 

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