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忘れるということ。

「ゴールにたどり着いてみれば、なあんだと言える迷路も、迷っているうちは必死だ。のちに一笑に付してしまえることも、その瞬間はたいていなことではない」

うん、そうなんだよね。うまいこというなあ、
と妙に感心してしまうけど、それは自分の日記のなかにあった言葉だ。

いやはや。自分の書いたものをこんなにもきれいさっぱり忘れてしまっていいのだろうか、といささか不安になる。

自分の書いたものを「昔はうまいこと書きやがったなぁ」とちょっとさびしい思いで読み返すことはふえるでしょう。

と柳沢保正氏は言う。

う~ん、やはりそういうものか。文章もだんだん上達するもの、と思っているのに、昔のほうが上手かったと思うのはなにやらせつない。

人の頭は、日々の刺激で、変化しています。
だからこそ、書こうと思ったときに書く。

なるほと。日々の暮らしの切実さみたいなものが 文章に影響を及ぼすこともある。上手くいかないことが重なっているときの自分は けっこう深く物を考えているかもしれないし、花粉症の時期はまるでぼんやりしてしまっている。

それでも、自分が書いた文章は自分のカケラを溶かした水溶液のようなものだから、表層の記憶にはなくても、深いところには自分の結晶があるのがわかるから、だからこそいろいろ忘れてしまってもまた自分色の文章を書いていくんだろうな。

と、思っておこう。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️