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ふびんや 23「片袖袋 Ⅴ」

さくらが会社の後輩をひとり紹介し、近所の喫茶店でバーバラの英会話個人レッスンが始まったのは、「ふびんや」にバーバラが現れた二週間後だった。

英会話なんて聞くと逃げ出しそうな商店街の中高年の面々も、バーバラが日本くんだりまで来て、こころ細い思いしてるんじゃかわいそうだからと、いろいろ相談した結果、カラオケで英語の歌を習おうじゃないか、ということになった。

場所は伊沙子の店「笹生」の二階で、月二回、固定したメンバーではなく、都合のつく者が来ることにして、出席者はひとり一回千円で教わり始めた。

歌の会のほうの初回に、さくらが事前に聞き取っていたバーバラの身の上を紹介した。テキサスの農場で生まれ育ったバーバラは二度結婚して、二度とも夫に先立たれた。最初のひとは交通事故で、次のひとは胃ガン手術のときの麻酔によるショック死だった。

最初の結婚で子供が四人、二回目で一人生まれた。再婚相手と折り合いの悪かった長男は家出をして、ずっと行方がわからない。ニューヨークの肉屋で働いているという葉書が最後の連絡だった。生きているのか死んでいるのかさえもわからない。

長女はアメリカ人と結婚し、アメリカで暮らしている。次男と次女が日本人と結婚した。次男は広島に住み、義父の営むサッシの会社で働いている。

末っ子の息子は「leukemia」で死んだ。十歳だった。さすがのさくらもそのルキミアという単語はわからず、辞書をひいたという。「白血病」とあった。ニューメキシコの病院で治療を続けていたが、甲斐なく逝ってしまった。

「ニューメキシコは大きらい。雨が降ってじめじめして、って言ってる」

「バーバラはんも苦労してきゃはったんやなあ。かわいそうになあ」

「それにしては明るいよね、このひと」

「オー、イエース、アイム、げんき、パーソン。なっとうダイスキ」

「ほんまにおかしなおひとやなあ」

知り合ってみれば、イスラム教のなかのバハーイ教の信者であるバーバラは信仰心が篤く、性格も明るくて、決して悪い人間ではないのがわかった。しかしバーバラのおしゃべりは、尽きることのない湧き水のようで果てがなく、ついつい本題から脱線してしまう。

英語を教えるというよりは落語家の独演会のように身振り手振りも大げさに、ぺらぺらと自分のエピソード語り続ける。歌の指導も含めて、人になにかを教えることには向かないタイプだとわかるまでに、それほど時間はかからなかった。

さくらの後輩はその話に閉口し、早々にバーバラに見切りをつけた。それでも商店街の面々はその身の上にこころを寄せて、バーバラのおしゃべりはカラオケの音楽で封じ込め、なにしろ英語の歌を習った。発音がきれいになったかどうかはわからないが、伊沙子夫婦が揃って「ラブミーテンダー」をそらで歌えるようになったのは、成果といえば成果だった。


紅茶を啜りながら、あかねが思い出したように言う。

「バーバラってさ、すっごいおしゃべりでおもしろいおばさんだったけど、いつの間にか来なくなっちゃったよね」

「うん、まあ、いろいろあったんだけどね……」

ひなはカップに口をつけて言葉を濁す。


四月も終わりのある日の午後、バーバラが血相を変えて「ふびんや」へ駆け込んできた。興奮してまくし立てるバーバラの英語はさくらの通訳抜きでは理解できない。そこで紙に英文を書かせて、辞書片手にひなが訳していった。

「らんなうえい ばいないと?……えー、夜逃げ?」

「夜逃げがどないしたん」

「えーっと……debtってなにかな……あ、借金か。bankruptcyは……ああ、倒産ね」

「えー、どこが倒産したん?」

「ちょっと待ってよ、わたしはさくらちゃんじゃないんだから、時間がかかるの……あのね、だいたいの意味だけど、アパレルの会社が倒産して、 娘さん一家が借金のため夜逃げしたんだって。えー、バーバラがその家の整理にいかなきゃいけないから手伝ってほしいみたいよ。……イサコもさそってこれからいこうって」

「伊沙ちゃん、店があるし、今いうて今は、無理とちがうか」

「だよね。えーっと、続きは……どうせ人に取られてしまうものだから、日ごろのお礼にそこのあるもの、なんでもすきなの、あげるからって」

「お礼て、なにをいうてるの、このひとは。そんな問題とちがうのに。それで、娘さんと連絡はとれてるのんか?」

「いや、わかんないみたい。お兄さんのいる広島へ行ったのかな。いや、ひょっとしたら国外逃亡かもしれないね」

「よそのひとの不運をそんなドラマみたいにいわんとき。……そやけど、婿さんの家のひとかてやはるねんやろ? そのひとらが整理するのが筋とちがうか? そっちにまかせたらええがな」

「そんなややこしいこと、わたし、英語で言えないよ」

「ま、まあ、しゃあないな。で、どうする?」

「どうするって……とりあえず、急な話だし、今日はわたしが偵察に行く。で、そのあとまたみんなで相談しよう」



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