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乗客たち

ささやかなドラマを乗せて、電車は走る。

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山手線は少々込み合っていた。ドア付近に立っていたあたしの周りには幾人かのひとがつり革を持ったり、ドアにもたれたりしていた。

前触れなく、あたしの斜め前の女性がゆっくりと倒れかけた。その女性は顔立ちからしてインドのひとのように見えた。

その隣りにいた女性が気づいて手を差し伸べるが届かない。ああ、ああ、と周りの人間も気づきはじめるなか、インド女性は腰を床に落とし、なおも倒れかけた。

わたしの前にいたジャンパーの老人がその背に手を回し助け起こす。インドのひとなので顔色がよくわからないが、とくに泡を吹いているわけでもないので、たぶん脳貧血だろう。

みなの視線が集まる。さあどうしたものかという空気になる。そこで電車は駅に着いた。

ドアに寄りかかっていた青年が、「ぼく、駅員さん呼んできます」とホームへ飛び出した。

まわりの人間の顔が案じる顔になる。近くの座席に座っていたひとが席をゆずった。インド人女性をみなで助け起こし、その席に座らせた。

すると停車中の電車がまもなく発車ですとアナウンスする。あの青年がまだ戻らない。

みながまたどうしたものかと思っていると、ジャンパーの老人の隣りにいた肩幅の広い白髪の男性が閉まらぬようドアの真ん中で仁王立ちし、車掌のほうを向いて両手を振る。

そこへ駅員をつれた青年が戻ってくる。少し息が切れている。ああ走ってきたんだなとわかる。

かけつけた駅員は落ち着いた口調でインド人女性に「休憩室でちょっと休んでいきますか?」と聞く。

女性はこっくりをする。ちょうどドアの前がその休憩室だった。女性は、その痩せた肩を駅員の抱えられながらその部屋に入っていった。

それを見届けるようなタイミングでドアがしまり、発車した。

だれもが安堵したにちがいないが、その後だれもことばを交わさない。なにごともなかったかのように自分降りるべき駅で降りていく。

車内が空いてきて駅員を呼びにいった青年が座席に座った。

ちょっと神経質そうな細面の顔つきでずっと一点を見つめていた。さっきのできごとを反芻しているようだった。


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