浅草公会堂で。
そのむかし、のこと。自分も役者も若かったな、と振り返る。
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「鳴神」と「仮名手本忠臣蔵」を観た。鳴神上人が中村獅童、雲の絶間姫が市川亀治郎。
獅童さんが歌舞伎の大きな役を演じるのを始めてみた。「ピンポン」のつるつる坊主が初見だったな。あれは衝撃の存在感だった。
しかし歌舞伎界では後ろ盾のないことがどういうことか知るようになると、その遠まわりとこの人を認めた勘三郎のふところの深さに感心する。
この「鳴神」をはじめて見たのは当代市川海老蔵の新之助時代だった。坂東三津五郎の「鳴神」も見た。自分なりの「鳴神」のイメージがあるのたが、獅童さんの「鳴神」は荒事の力強さがひかる。ただ、絶間姫とのやりとりに艶というのか色っぽさがもっとあれば、と思った。
それと最後の花道で飛び六法を決める直前の見得がどこかちがう。
花道そばで新之助の見得を見たのだが、彼はとことん自分の見せ方を知っているように感じられた。腕を上げる角度から指の開き方まで、神経が張り詰めていた。家の芸とはこういうものか、と今回改めて思った。
新之助と同じ舞台での、菊之助の絶間姫は美しかった。花道で微動だにしないでいた菊之助を見上げると、決めの細かい肌、細面、大きな眸、そして縦長の鼻の穴が見えた。菊之助はその鼻の穴さえ美しかった。
亀ちゃん(亀治郎)はninagawa歌舞伎のお役のように少々はじけた女形を演じると実に生き生きとする。あたしはそんな亀ちゃんのほうがすきだ。
今回の歌舞伎で最も感動したのは中村七之助だった。
線の細い女形のイメージしかなかったのだが、今回は仮名手本忠臣蔵の早野勘平を演じきった。
まさに演じきったという印象だった。
細身の七之助のむこうに勘三郎が見えた。その間の取り方、身体の使い方、その型のきめかた、そのいきづかい、その発声・・・
七之助の皮膚の下に中村屋の伝統と勘三郎の思いいれが息づいていた。
忠実に力強く、七之助は演じた。勘三郎襲名披露のとき、自分の不祥事で地獄を見た男の性根が垣間見えた。
早野勘平の最後を演じる段になって七之助の細面に凄みが宿る。
ふっくらとした勘三郎には感じられない、思いつめた人間の凄惨さのようなものをその薄い肉付きの輪郭が醸し出す。
まことにまことに、あっぱれ!だった。
読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️