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そんな日のアーカイブ 11 2003年の作家 堀江敏幸

困りました。いやあ、どうもいけません。当時、明治大学のフランス文学の助教授である堀江敏幸さんとおっしゃるかたは、以前に一度BSの「週刊ブックレビュー」で拝顔いたしました。1964年生まれで、お若いのに過不足ない存在感があり、実に落ち着いたはなしぶりであるなあ、と感じ入った記憶もございます。

95年「郊外へ」で作家デビューされ、「おぱらばん」で三島由紀夫賞、「熊の敷石」で芥川賞、「スタンス・ドット」で川端康成文学賞を獲られたかたですから・・・うーん、すごいかたですねえ・・・その落ち着きはやはり裏打ちのあるものだったのでしょうね。

そして、8月1日の2時10分から3時10分までしっかりお話を聞いたというのに、わたしは今このかたのお顔がはっきりとは思い出せないのであります。眼鏡をかけておられたような気もして、おぐしもやや長かったような気もして
でも、目鼻立ちが浮かんできません。困りました。

では、お話は、どうかというとこれもまた頼りないことなのです。書くに足るようなことが思い出せるだろうかと不安になってます。さきに言い訳をしておくのも卑怯なんですけどまあ、そんなふうなんです。すみません。
 
でも、開口一番、「人間ドック」なのか「人間ドッグ」なのか「ビックカメラ」なのか「ビッグカメラ」なのか悩むというカタカナ表記の濁点問題を話されましたことは覚えてます。大学の先生なのにいい感じでしょ?そう、格式張らない、もったいをつけない感じのするかたでした。

テーマが「私と都電荒川線」でしたか。そういえば、このかたは岐阜のご出身でしたよ、たしか。多治見市だとか。岐阜県出身者で芥川賞を獲ったのは小泉信夫さんから数えて46年ぶりのことだったとか。そう岐阜新聞に書いてありました。

堀江さんがこの文学学校のオファーを受けたのはほとんど時間割が決まった最後のほうだったそうです。テーマを決めるにあたって、堀江さんの得意分野である「パリ」は佐橋さんが「郊外」は川本三郎さんが押さえてしまったので
しかたなし、それじゃあ、「都電荒川線」ってことになったらしいです。

早稲田大学に入られて、面影橋に住まわれたから都電荒川線なんですよ。「いつか王子駅で」というご本も出されていますから。

そんないきさつを聞いているとなんだか「溜め息交じりの諦念」という感じがするのですが、それでもおだやかにこなしていかれたのは、このかたの余裕なのかもしれません。

さあていよいよ、困りました。そのあとのことがおぼろです。ちょっと居眠りをしてしまったようなのです。ノートにある覚書の字が宇宙語のように判読不能なのです。

覚えていることといえば、都電荒川線に書いてある注意事項です。車内持ち込み禁止物に「死体」というのがあるそうです。そ、そんなもんを!?と思いますが戦争直後に書かれたものかもしれませんとのこと。そのほかにも実弾200発まではいいのだそうで。まじめにおかしいことがありますね。

そうそう、街を見る目線のお話もあったように思います。見下ろすのではなく、普段の暮らしと同じ高さで見ることが肝要だと。自分にそういう低い位置でものを見せてくれたのが都電荒川線であると。

これではいかんとちょっと調べてみると、このかたのこんなお言葉に出会いました。

「善い悪いをすぐ判断したり、白か黒かって言わないで、その白黒の間のグレーゾーンに立って、相手や対象となるものごとをじっくり見ることですね。それは勇気のいることで、日本では優柔不断とか日和見と言ったりするかと思うんですけれど……。でも、ためらうということは大切だと思う。『逡巡(しゅんじゅん)する自分』を客観的に見ていないと、むしろ正確な判断は下せないんじゃないかな」 

「単純な二分法で世界を割り切ることができたら、生はどれほど安楽だろう」

「その『間』に立つことが、今の日本ではどんどん難しくなっているように思います」。

そういう、よいお言葉を知るにつけああ、もっとちゃんとお話をうかがっておけばよかった!と悔やまれるのでありました。 


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Wikipediaより

堀江 敏幸(ほりえ としゆき、1964年1月3日 - )は、日本の小説家、フランス文学者、早稲田大学文学学術院教授。

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2003年7/28〜8/2まで、東京・有楽町よみうりホールで開かれた日本近代文学館主催の公開講座「第40回夏の文学教室」に参加し「『東京』をめぐる物語」というテーマで、18人の名高い講師の語りを聞きました。

関礼子・古井由吉・高橋源一郎
佐藤忠男・久世光彦・逢坂剛
半藤一利・今橋映子・島田雅彦
長部日出男・ねじめ正一・伊集院静
浅田次郎・堀江敏幸・藤田宣永
藤原伊織・川本三郎・荒川洋治

という豪華キャスト!であります。

そして17年が経つともはや鬼籍に入られたかたもおられ、懐かしさと寂しさが交錯します。

その会場での記憶をあたしなりのアーカイブとして残しておきます。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️