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ふびんや 12「カタオカⅤ」

歩き回っていたカタオカが立ち止まり、肩の位置を下げて更地のうえにかがんでいる。かがんだかと思うと、ゆっくり鼻を土に近づける。ひくひくひく、かすかに鼻が上下に動いている。土の匂いをかいでいる。時々風の中に顔をあげて考え深げな表情になる。

「カタオカはなにしてるんだろうね。なんか探してるのかな。さっきからすっごく不機嫌そうな顔してるみたいに見えない? ねこでもあんな顔するのね」

「そやなあ。……ああ、カタオカはきっと小枝さんの家がないことを承服しかねてるんやわ。ここにあったはずのもんがここにないねんさかいになあ」

カタオカはそれからかがんだまま足だけを動かして水道の蛇口のあたりに場所を変え、またそこの匂いをかぐ。そこから更地の中心あたりにきて、今度はきれいな三角錐のかたちに盛られた砂の中に鼻先を埋める。そしてぴたっとそこで動かなくなる。

「カタオカ、今度はあそこでなにしてるねんやろ」
「口が動いてるよ。なんか食べてるのかな」
「なんかて、なんにもないやないの。あるのは砂だけやし」
「ちいさな虫とかいるのかなあ。ねこってそんなの食べるのかなあ」

しばらく黙って考え込んでいたあずが声をあげた。

「なんか目にはみえへんもん食べてるのとちゃうやろか」
「目に見えないものっか。ふふ、たとえば、小枝さんの思い出だとかいうの?」

「いや冗談やのうて、そうかもしれへんやんか。あの場所は掘りごたつがあった場所や。あそこでカタオカといっしょにご飯食べたはったんやわ」
「カタオカがそのことを思い出してるって?」

なにかを聞き分けようとしているかのようにカタオカの耳が小刻みに動く。

「ひょっとしたらあの家にあったもん……あのお雛さんが思いがあそこに残ってて、カタオカのこと呼んでるのかもしれへん」

「ねえ、母、思いつきだけで言うから、早合点する刑事みたいに話がころころ変わってるよ」

「そうかて、なんやだんだんにそんな気がしてくるねんもん、しゃあないやんか。お雛さんていうのは母方の家が初節句に贈るもんや。あのお雛さん、そのときからずーっと小枝さんのそばでいっしょに春を迎えてきゃはったんや。そう思たらお雛さんの帰るとこは小枝さんといっしょに暮らしたここしかないやんか」

「でも、だれがここに帰ってきても、小枝さん、もういないんだよね」

解体屋がきて家を壊す。家は片端からやっかいなゴミになりはてていく。粉砕された家の破片は、そこにあったおばあさんの暮らしの名残りごとトラックの荷台に乗せられて、だれも知らないところへ運ばれていく。その後、とどめのように重機が入って土台のコンクリートを剥がし砕く。跡形もなく家は消える。

「もうここにはなんにもないけど、カタオカはああして、ここにあったもんとここにいたひとのこと、おなかにおさめてるんやわ」
「ふーん、そうかなあ。かなりへんなはなしだよ、それ」

「へんなことないわ。きっと、土の味がそのことを教えてくれるんやわ。そうやって、小枝さんのこと、偲んでるんや」

通りから更地を覗き込むふたりの後ろを坊主頭の中学生が掛け声をかけながら、走り抜けていく。近くの学校の野球部のランニングのようだ。木枯らしのなかに響くその大きな溌剌とした足音に驚いたカタオカは、びくんと体をすくめたかと思うと大急ぎで更地を出て、そばに止めてあった車の下にもぐりこんでしまう。ひながかがんでのぞきこむと、カタオカの視線はなおも更地を捉えているようだった。

「カタオカ、まだこっちをにらんでるみたい」
「きっとまたあの更地にもどって、小枝さんの思い出の続きを食べるんやと思うわ」

「はいはい。わかりましたから、帰りましょうね。なんだか冷えちゃったわ」
「ほんまや、さぶいさぶい……」
「今日はおなべにしようか」
「そやな。ああ、湯豆腐にしよか。いのちのはてのうすあかり、や」
「なにそれ?」
「なんでもええがな……ほな、帰るわな、カタオカ。さいなら」

バス停に着くとほどなくバスが来た。よく効いた暖房がありがたい。最後尾の座席に座ってかじかんだ手をこすり合わせていると、救急車のサイレンが聞こえた。事故だろうか、急な病だろうか。新しい患者が大学病院に運ばれていく。

もう二度とカタオカに会うことはないだろうけれど、思い出を食べるねこのことは忘れないだろうなとひなは思い、いつのまにかあずの「へんなはなし」に納得してしまっている自分がおかしくて苦笑してしまう。

「なにわろてんの? おかしな子やなあ」
「なんでもないよ」
「……それはそうと、あのたむら荘のキューピーさんの着物はできたんか?」

「うん、できたよ。公子さんが昨日取りにみえた。早速鞠子さんに着せてみたんだけど、ぴったりだった」
「へー、ひなも腕、あげたやんか」
「はい。おかげさまで」

「公子さん、喜んだはったか?」
「……泣いたはった」

ひなは京都弁でそう答えた。 

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️