見出し画像

ふびんや 14「鼠志野 Ⅱ」

注ぎあった酒はますます互いの口を滑らかにしていく。

「摂にはさあ、ほんとに苦労かけてんだ。……子供四人もいるしさあ……仕事はだんだんへってくるしさあ……ほんときびしいんだあ……それでも摂はさあ……年取ったおやじやおふくろの世話、きっちり最後までしてくれたんだよ……そうなんだ。えらいやつなんだ、あいつはー」

統三は独り言のように言葉を重ねていく。その途中でひなが言葉を接ぐ。

「あ、あかねちゃんのおばあさんのこと、よくおぼえてるよ、わたし。いっつも飴もらったし。鼻とか、おじさんに似てたよね」

「ははは、その通り! ばあちゃんの鼻もでーんとしてあぐらかいてたよね」

「ふふふ、思い出したわ。あのおばあさんは顎がようはずれてしまうおかたやったなあ。しゃべってる最中に、急にがくーって下顎が伸びて、あいたままになってしまわはった。人形浄瑠璃の顎落ちを見てるみたいやったわ。あのときはびっくりしたなあ」

「ははは、そうなの。妖怪みたいでしょう? 家族は慣れちゃってたけど、たいがいのひとは仰天してたわね」

「うん、わたし、初めて見たときはきっと十歳くらいだったとおもうんだけど、それでも、こわくて、あかねちゃんのおばあちゃんが壊れたあって、泣いちゃったもん」

「……俺はいまでもその夢みて、うなされるんだよ、ひなちゃん」

統三はその夢を振り切るように、どんどん杯を空けていく。途切れた会話の間を縫うように店の柱時計の音が重たく響いてくる。

……七つ、八つ。ひなは無意識にその数を数える。……まだ、大丈夫だよね。まだ、帰らないよね……恵吾が行ってしまう時間を気にしながらその音を聞いていた。

「ねえねえ、おばあさんって、がまがえるみたいなドスのきいた声だったよね」

「そうそう、耳に張り付く声だった。畳職人を相手にしてきたからさ、とことん気が強くてさあ、かあさんたいへんだったんだって」

「しかし、あのおかたも、なんぼしっかりしたはるていうても、最後はちょっとおつむがうまいことまわらへんみたいやったねえ」

「そうなの、それも困ったことだったの。ある日、突然、とうさんのことを自分の旦那だと思い込んじゃったの。ねー、とうさん」

「へー、そうだったの。わたし、知らなかった」

「……ちがうって言ったって、おふくろはあの通り頑固で、いっさい聞く耳もたないからさあ……参ったよー」

そう言いながら統三は手酌で杯を満たし、じっとその底を見つめる。

「で、ほんとの旦那のじいちゃんのことは、どこかよそのあやしいおっさんだと思ってて、じーって睨みつけたりするんだもん、見ててかわいそうだったよ、じいちゃん」

「ほんまやなあ、それはなんや、究極の失恋っていう感じがするなあ」

「でしょう? ばあちゃんは、じいちゃんのこと、昔はけっこういい男だったんだよ、わたしゃ岡惚れしちゃったんだよなんて、うれしそうによく言ってたのにねえ……」

統三の晩酌の相手をしてきたあかねは、アルコールには強いほうだが、杯を重ねてくるとさすがに頬が上気し、いつに増して言葉数が多い。

「でもってさあ、ばあちゃん、なにを思ったのか、長火鉢の前に陣取って時代劇の親分みたいに煙管で煙草吸いはじめたんだよね。じいちゃんなんか縁側に押しやられちゃって、なんかしみじみして、庭の木眺めて、ぶつぶつ言ってたよ」

「ああ、そのおじいさんの煙草盆と煙管、このまえ統三さんがもってきてくりゃはったあれやねえ。ふふ、おじいさん、すきで縁側で吸うたはったわけやないねんねえ。押しやられたはったんかあ、かわいそうに……」

「ばあちゃんのほうはさ、かあさんに旦那を取られたって思い込んじゃってるからさ、あの年でやきもち焼いちゃって、けっこうキツイ言葉を吐きまくってたんだよね」

「そやった。まあ本人は若いつもりでやはったさかいにしゃあないねんけど、摂さん、情けないことやっていうたはったわ」

「……俺はさあ、摂に……ほんと、苦労ばっかしかけてんだよ、あずさーん。わかってくれるよねえ」

「ふふふ、統三さん、もうできあがったはるなあ。ちょっと横にならはったらどうえ」

「そうさしてもらうかなあ」

そう言ったかと思うと統三はコタツから出て、倒れるように横になった。

「もー、とうさんったら、しょうがないわねえ。ほら、これ」と、あかねが座布団を枕代わりに統三の頭の下に差し入れる。

「あ、わたし、二階行って、毛布とって来るね」ひなはそう言って廊下に出た。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️