見出し画像

ふびんや 31「枇杷屋敷 Ⅰ」

十二月も下旬に入り、注連飾りの露店が出始めると、商店街はいつに増してにぎやかにひとを集める。大売出しの幟がたち並び、通りに出た店員が頬を赤くして「ごりよう、ごりよう」という威勢のいい掛け声をかける。今年最後の運試し、福引きの回る音と鳴り響く鐘がささやかな願いを叶える。なにかに押し出されるような気ぜわしい日が続く。

暮らしの約束ごとは、次に控える真新しい時間のために、そんなふうにけじめをつけて一年を終えようとする。どの年にも繰りかえされてきた当たり前の歳末風景のなかを、正月用の食品が詰まった袋を抱えた主婦がまだまだ買いたりない顔つきで行く。メモを片手に進む老人もいる。

親子ふたりで営む「ふびんや」にもまた、それなりのいそがしさが待ち受けている。

「はあー、やっぱりさむいなあ。ほんなら、うらなりはんとこ行って来るしな。こんないそがしときに悪いけど、あと、たのむわな、ひな」

あずは寒そうにコートの前をかき合わせると、カートを引いて店を出る。朝の商店街は、一日のにぎわいの予感を孕みながらもまだまだ静まっていて、とりまく空気も冷えている。もうしばらくすると、ウォーミングアップをするように人と荷物とが行き交い始め、通りの体温は徐々に上がっていくことだろう。

「うん、わかった。けど、清岡さんち、どこだかわかってるの? 母」
「まあ、だいたいな」
「えー、そんなので辿り着けるの? たしか大森の山王のほうだったよね」
「そうや。まあ、途中でわからんようになったら、そこらのおひとに訊いたらええねん。目と耳と口があったら、どこでもいけるわ。携帯も持ったし、うらなりさんの電話番号も控えたし、いざとなったら、電話して訊くさかいに。きっと、だいじょうぶやて」


昨日の朝早く「ふびんや」の顧客である清岡宅から電話があった。相手は住み込み家政婦のハルタと名乗った。丁寧な口調で、かなり年配のように感じられる声だった。

「うちのセンセの退官が近いものですから、思い切って大掃除をいたしましたの。そしたら古いものがもうもうたくさんでてまいりましてね……ええ、ここのお家もお古いですからね。けれども、跡を継ぐかたが居られないものですから、センセがすべて整理してしまうっておっしゃいましてね……ええ、そうなんですよ。それで古道具屋さんをお呼びするまえに、ふびんやさんに来ていただいて、そちらさまの欲しいもの、なんでも持っていってもらえばいいっておっしゃるんですよ……」

女子大で英文学史を教えているという清岡は、歴史散歩の会の会員でもあり、今年の初めの旧東海道の回のおりに、「ふびんや」を見つけたご婦人方のあとからやってきた。

清岡はどうやら店の名前が気になったらしく、そのいわれを訊ねた。あずがいつもの説明をして、どんなものもきちんと成仏させてやりたいのだと告げると「それはいい、それはいい」と感心したふうで、だれのためにか、ひなの作ったちりめんの小物をあれこれと買い求めて帰った。

その後も清岡はちょくちょく店に現れ、祖父の品だという古い着物をベストに仕立て直す注文をしたこともあった。

「うちでは、こういうことはものすごくめずらしいことなんですよ。わたしにはわかりませんけどあの仕立てなおしていただいた洋服がお気に召したからじゃないですかねえ、あるいは、おたくさまのことがお気に召したのかもしれませんわねえ、おほほほ」

「いやあ、おおきに。ふびんやを気に入ってもらえて、うれしいです。明日の朝、九時ですね。きっとうかがいます。ありがと、ございます」

「いーえー、どういたしまして。せいぜい持ってってくださいましな。逆にこっちはせいせいいたしますから。それで持っていけないものなどは宅配ででもお送りいたします」

「そんなお手間なこと……」

「いえ、いいんですよ。こっちもたすかりますから。ただね、ご存知かとは思いますがうちのセンセはちょっと気難しいところがあって、時間にルーズなのが許せないたちなので、時間厳守でお願いしますよ」


「ああ、あかんあかん、遅れてしまう。時間厳守って釘さされてたんや」

「はいはい、いってらっしゃい。気をつけてね」

 あずはあわてて商店街を突っ切っていく。

「おおきに、おおきに」と言いながらも、決して大きいつづらは持って帰ってこないだろうなあ、と思いながら、ひながその後ろ姿見送っていると、小料理屋「笹生」の伊沙子が路地から出てきた。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️