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うかれたっていいじゃないか!

あたしは他人志向の小心者の自意識過剰モンだから、どうにも褒め言葉に弱い。

またたびに酔う猫のように、うかれおばさんになる。単純にうれしいのだ。生きてる甲斐は褒め言葉なのかもしれんな、と思ったりする。

しかし、やっぱり、他人志向の小心者の自意識過剰モンだから、そんな自分が恥ずかしくもあって
、いやいやそんなによろこんではいかん!と自分をいさめたりする。

逆に言えば、けなし文句がいつまでも気になる。これまた、かっこわるいが事実だ。

ああ、あんなふうに言われてしまったと、踏まれた足の痛みを自虐的に反芻するようなところがある。

反面、瞬間的には怒髪天なのに、片側に理性というものがあり、しかも他人志向だから、自分をよく見せることにはこころを砕くわけで、自分の装いを変えるように半ば常習的に、無意識に、半ば反射神経的に、その高ぶった感情をなだらかなものに変えてしまうこともある。ニカっと笑うことさえあるかもしれない。

しかし、その押さえこんだものはうちに籠もり、阿古屋貝の核のようになり、きっといまではけっこうどす黒い珠になっていることだろう。

しかも、「いや、そんな人間ではありませんのよ、あたしは」という顔はいくらでもできる。そういう人間に石を投げなさいといわれたら、投げてしまうかもしれない。

いやはや実に因果な性格だ。扱いづらいことこの上ない。それが自分だから困ってしまう。


とまあ、大げさに書けばこのようなことになるのだけれど実は自分の作文に

「読ませていただいて 切り口がすごいな~~と思っておりました」

とか

「夢中になって……読み進めていました」

なんてお言葉頂いて、うかれとるのです。


というのも、その言葉は身近なひとに「最近面白くない」といわれてしまって、ならば!と発奮もできず へなへなとなり、「考えすぎ!」とか言われて、考えなさすぎも嫌だなとおもいつつも、そんなことを思う自分は、いつまでもおとなになれない未熟な人間のような気がしてくる。

まあそんなこんなで、更新できないままにおいていた文章群のことだったから、そうかあ、あれを読んで、そう言ってくれるひともいるのかあとうれしくなったのだ。

しかも、こんな言葉もいただいた。

「ずいぶんしっかりした日本語を書き残す人だな
と感心してみています。大袈裟なようですが、読んでいて、鳥肌が立つというか、この人、並みじゃないなとずっと思いつづけています」

おおー、うれしいなあ。

ほんと、あたし、かっこわるいです。あたし、単純でみっともないです。他人志向の小心者の自意識過剰モンです。だから言っちゃいます。この褒め言葉ものすごくうれしいです。

歳を重ねて、下り坂を行く身は、人生のあらゆる試合に負けてしまったような、ひどい落ち込みのぬかるみを行くようなもので、それは常に胸焼け状態で、ときどききりきりと差し込む胃痛を抱えてる日々のようなもので

そこへ届けられたこの言葉、遠来の見知らぬひとに頂いた胃薬が効いてくる。まことにまことにありがたい。

またがんばろっと。

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これ、ずいぶん前のことなのに、まったく、かわらんなあ。今もこんなだよ。やれやれ。



読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️