申し訳なさ

10年前に思ったこと。
そして今も思うこと。

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FUKUSHIMAのあのエリアにある
あの恐ろしい物質は
今も、これからもずっと長きにわたって
地球を汚し続けるだろう。

その地に住む日本人として
そのことを
世界のひとびと
地球のあらゆる生物にたいして
申し訳ない、と思っている。

何様のつもりでもない。
自分がその代表ではなくとも
その国の一員であるから
素直にそう思う。

ほんとうにほんとうにごめんなさい。


わたしたち、という言葉で語ると
責任は薄くなるという自覚のうえで

総意として、わたしたちは
なにかを選び間違えたような
なにかを育てそこねたような
きがしてならない。

それは
国をあずかる役目のひとだったり
真実を伝える役目のひとだったり
技を磨く役目のひとだったり
あかんものをあかんという役目のひと
だったりする。

そういうことに優れたひとが
声をあげ、腕をふるう場所を
作ることができなかったことも
わたしたちの総意なのだ。

第二次世界大戦中、
戦争に勝ち続けています、
と伝えられる言葉を信じ続けた
わたしたちの親たちが
ずっと裏切られていたという歴史は
わたしたちに、
自分で考えることの大切さを教えたはずだ。

なのに
だれかにとって都合の悪い話が
都合のいい話にすり替えられることとか
目くらましのように
別の話題がクローズアップされるとか
そんなことの繰り返しに
馴らされてしまったんじゃないか、
と反省する。

自分の日々が安寧で快適であれば
うるさく文句はいわない、
この国のそんな空気が
そこなってきたものを思う。


仲間はずれはいや、
いじめられちゃうもん。
だから右にならえ。

みんなが言ってるから、
そういうことなんだし
みんなが言ってないから、
そういうことじゃないだって
思ってしまうのはこわいことだ。

それはあるときは無関心となり
あるときは数の暴力となって暴走する。

自分もその一員であることが
申し訳ないのだ。

大自然がこの国に与えた一撃は
強烈なものだった。

たくさんのいのち
たくさんの財産
たくさんの思い出が奪われた。
生き残ったかたがたにも
試練が続く。

戦争の後も
一面の焼け野原で
立ち尽くしたひとびとがいたはずだ。

国のかたちが整わなくて
なんの保証もないゼロから
それでも、今日一日を積み重ねて
明日を夢見て
努力してきたひとびとが
たくさんの変化を重ねて
今のこの国の繁栄の礎を作ったのだから

その復興のDNAは
この国に生きるひとたちのなかに
必ず生きているはずだ。
そう信じる。
かたく信じている。


しかし、
あのおそろしい物質は
ひとのDNAの伝達を阻害する。
阻害されたDNAは病の元となる。
あたらしいいのちのかたちをゆがめてしまう。

わたしごときが
考えても仕方がなくて
考えても何も変わらない
考えれば考えるほど
体調が悪くなることなのかもしれないが


この時代に生きたひとりの人間として
考えていかなくてはならないことなのだと思う。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️