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椎葉の子守りさん。

久しぶりの投稿です。今日は、椎葉村にはもともとベビーシッターがいた!という記事です。

ベビーシッターデビューへの反響

先日、ベビーシッターのマッチングサービスにてデビューをした、ということを、SNSにあげたところ、コロナによる休校対策でベビーシッターの認知度が上がっているからか、ここが日本三大秘境であり山間地での活動が珍しいからか、村内外の方々からたくさん「いいね」をいただきました。

正直、ほとんど利用者を見込めないであろう椎葉村で、村内の方に理解してもらえると思っていなくて、「子どもは親が見るべき!!」というご意見をいただくだろうと覚悟していたので、肯定的な反応に非常に有難いと感じました。

ですが、本当にすごいのは、こうして秘境でもベビーシッターを手軽に、安全に利用できる仕組みを作った人がいる、ということ。

そしてそして、もっとすごいのは、
なんと秘境のベビーシッターは、実は、私が初めてではない、ということなんです。

今日は、椎葉のベテラン子守りさんについて、お話したいと思います!!

椎葉の子守りさん

私が椎葉に来て少しした頃、椎葉ではかつてたくさんの子守りさんがいたことを知りました。

椎葉の保育所は、2019年春から0歳児の受け入れを始めたので(つい最近ですね)、それまでは、共働きの家庭は、自分の子どもをどこに預けるか、ということに非常に苦労したそうです。

村の中心部だけでも数名、そして中心部から離れた各地区にも、子守りさんがいたようです。
多くは、自営業、特に商店をやられていた方々で、お店番をしながら役場の方のお子さんや学校の先生のお子さんの世話をしていたそうです。


私は、ベテラン子守りさんを訪ねてみることにしました。
1人訪ねると、「あの人も預かってたよ」と他の人を教えてくれる、ということが続き、何人かの方からお話を伺いました。

「ちょっと熱があるくらいだったらね、預かってたよ」
「親御さんが出張で帰りが遅い時は、夕ご飯やお風呂もすませてね」
「散歩も行ったけど、蚊に刺されないか、けがをしないか、ひやひやだったよ」
「自分の子どもと一緒のような感じだったね」
「断っても断っても、訪ねてきて、お願いします、と言われてね。でも一度来たら、もうかわいくてね」
「今でも、訪ねてきてくれるのが嬉しい」
「あの子も、うちにいたんだよ」

と、皆さん当時のことを懐かしむように、お話ししてくれました。


今ほど子育てに関する情報も便利な物もサービスもない時代に、まさに村民主導で、子守りをしていたのです。
子守りさんの元で育った子どもの数は正確にはわかりませんが、私がお話しを聞いた方だけでも50人はいるようです。

椎葉に来て、子育て中のお母さん方から「子どもが小さいうちは、家にひきこもってつらかった、、、」という話を聞いて、何かしたいなあと思っていた私。ベテラン子守りさんの存在にとても励まされました。

(一緒に何かやれたら有難いなあ、という気持ちを込めて)
「もう、子守りしないんですか?」と、聞くと、

皆さん、口をそろえて、「体がもう持たないよねえ」とおっしゃるのでした。

新しい形の「みんなで子育て」の時代へ。

「ベビーシッター」「一時預かり」という言葉は、現代的&都市部の概念だなあと思います(否定的にとらえているわけではなく、子守りを「外側」に託すという感覚において)。

椎葉の子守りは、あくまで顔の見える範囲(「内側」)での関係であり、「拡張家族」というイメージに近かったのではないか、と思います。
地域で育つ子どもたちには、たくさんのお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、おじさんおばさんがいたのだと思います。

ですが、今村外出身でお嫁に来て、子育てしている女性が多い椎葉村。
昔と違って生活スタイルや価値観も変わり、親せきや地域の方々に頼りにくいという状況も増えていると聞きます。

1人で思いつめたり、人に甘えてはいけない、と我慢している方に、そして、人に頼ることを非難する風潮には、声を大にして、「昔だって、みんなで子育てしてたんですって。」と、椎葉の子守りさんの話をしたいです。

そして、子育て中の女性が「人に頼っていい」「自分の時間には(お金を払ったり、他人に頼んで手に入れる)価値がある」と感じてもらえるようになったらいいな、と思います。子育てがちょっと「重い」時代だからこそ、狭い村の中だからこそ、「~すべき」ではなくて、「一緒にやっていこう!」という声を増やしたいのです。

どうしたら「内側」も「外側」も利用しやすくなるか、価値を感じてもらえるか、内容や見せ方については、工夫・技術が必要だと思っています。村内でのベビーシッター業務も、量より質、で、一つひとつ積み重ねていきたいなと思います。

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